こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

学問に自由はない、あるのは利益相反行為的事由だけである!?

相関と因果関係。

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(本文と写真は関係ありません)

 

  • 年を取ると耳が悪くなる。
  • 難聴の原因は、騒音と高血圧である。
  • 難聴の原因は、遺伝素因と薬剤性の内耳毒によるものと感染症がある
  • 認知機能の低下している人は脳が萎縮している。
  • 難聴のあるひとはうつ傾向がある。
  • 難聴のあるひとは認知機能が悪い。
  • 難聴のある老人男性はうつになりやすい。

しばしば観察される事象である。

経年変化による機能の劣化は

自己回復とか自己修復に対する対処がなされていないことで生じる。例えば、マバン族は高齢になっても難聴になるひとはいなかったし、日本にも数%のスーパー聴力高齢者がいる。なによりマバン族の部落に道路が開通した後は、マバン族にもメタボが生まれ、難聴も進むようになった。

高血圧は動脈硬化とリンクしているから体のすべての臓器の不調の原因である。運動不足や食塩の取り過ぎなどが原因とされているが家族性遺伝性もかなりの割合がある。

難聴が遺伝素因や内耳毒性のある薬剤の使用などで生じる。毒性があるとわかれば市場から駆逐されるが、新薬だとわかるまでに時間もかかるだからこれはなかなか回避しがたい。

脳の大きさと知能の問題は古くから議論されている。森満保先生のなぜこどもは勉強しないといけないのか 人工内耳からわかった耳と脳のはなし のなかでも脳容積のことがいろいろと書かれている。しかし、残念というかやっぱりというか、脳の大きさと知能には相関があるようにみえてもほとんど因果関係はないことがわかっている。すくなくともMRIで形態をみることでなにかを言い切ることはほとんど意味がない。脳の大きさと機能についての神経神話はいまだに広くはびこっていて医者でさえもそれを信じているのがいるからやっかいだ。

機能的MRIやPETで機能からみた脳地図と脳萎縮の程度には相関が見られるかも知れないが因果関係はないというのが現代神経科学の基本的な考え方である。

 

Great Myths of the Brain (Great Myths of Psychology)

Great Myths of the Brain (Great Myths of Psychology)

 

 

 

難聴とうつあるいは難聴と認知機能という問題も同じように解釈が難しい。相関はありそうだが因果関係は云々できないというのが正しい考え方のように思う。難聴があれば会話が聞き間違えたり聞き取れずで日常的なストレスは高まる。それだけでもコミュニケーションエラーにともなう抑うつ気分になってしまうだろう。認知機能検査で使用されるMMSEなどの質問紙は基本的にきこえるヒトを対象に行っている検査だから難聴者にとっては不利な問題が少なくない。実際、最近の認知機能検査は、MMSEとかだけじゃなくてバーゼルインデックスとかやる気スコアでの評価もあわせて行うというスタイルになっている。難聴を放置すると認知機能がわるいとかうつ傾向があるという風に解釈されやすいから積極的に補聴器を活用してもっとみんなと濃いコミュニケーションとりましょうねというくらいならいえるとおもうが、補聴器で認知症を予防しようというのはすこし飛躍しすぎなように思う。

なんだかうつと認知症の予防手段のようなニュアンスでいっきに盛り上がっている感、満載であるけどもそれってどうよという感じをどうしても払拭できない。

トドメは難聴老人男性はうつになりやすいというもの。同じ調査が米国では女性がなりやすいに大幅に変わってしまった。こうした差異は、生活スタイルや文化あるいは食事などいろんなものの影響を受けている。

 

(つづく)

  

大好きな宇和島の麦味噌のこと。

 

健康長寿時代に難聴がクローズアァプされた理由。

結論から言うと、耳鼻科医の怠慢に他ならない。

あらゆるアンチエイジングが進む時代にあって、あまりに無策放置してきたからにすぎない。

やっと難聴に関心がむいたのではなく、世間は今頃なにさと怒っている。そう捉えるべき問題。

昨日の難聴と認知症とうつに関するシンポジウムは論点がいまひとつはっきりしなかぅた。

なにやら官民挙げての販促集会みたいで中途退席した。

難聴者の割合が2割に達するかもしれない社会で個のレベルでの補償を議論するのはマーケティング的にありえない。

 

リオンじゃなくて、ユニバーサルサウンドデザイン社こそが本領発揮すべき時代がやってきたんだと思う。

u-s-d.co.jp

www.rionet.jp

‪#難聴と認知症とうつに関するシンポジウム‬

 

フェイクニュース問題を考える。

メール問題とロシアのハッキング

Clintonのメール問題に端を発した誹謗中傷に満ちあふれた大統領選挙は、得票数でClinton、選挙人数でトランプというミスマッチのなか、トランプの勝利という展開となった(そういえば2016年の紅白歌合戦も同じように総得票でダントツの白が選挙人によってひるがえされました)。

2009年チェンジを訴え、8年間、ひたすら変化を起こしてきたオバマの政策に最初は「期待したけど結局はねぇ」とNoを言う人が少なからずいたことがトランプの勝利につながったことは疑いようもない。

もちろんABテスト的な2択となってしまうアメリカの大統領選挙が、システム1ポリティクスに陥ってしまった感はいなめない。ここで注意すべきと言うかおもしろいことは、システム1ポリティクス つまりリザード脳で判断する仕組みでものごとが決まったとたんに理性的なはずのマスメディアまでもがヒステリックになってきているという事実である。

 

トランプは初の演説で、CNNの記者の質問をさえぎった。彼は、かれらの報道姿勢に疑問を呈し、そうした正しく伝える力のない報道機関の質問には答える必要もないと対応した。

 

報道の信頼性がこれほど壊れた時代はない!?

Clintonが不適切にも私的メールと機密メールをごちゃ混ぜにしたことは大問題である。このことだけでも彼女にある種の資質が根本的に欠けていることは疑いようもない。だけどもそのことについてClinton寄りの人たちはたいした問題ではないと擁護する姿勢を崩さない。

だけども私的アカウントを使っていたと言う事実は、ハッカーにとっては美味しい材料である。簡単にハッキングできる可能性がいっそう高まるからである。

インターネットにある情報は、玉石混淆であるし、ホントもウソも同じくらい溢れている。だから、その情報を慎重にひろいあげ、正しく評価する必要がある。

単にインターネットリテラシーに造指が深いと言うだけでは不十分であって、情報そのものを的確にジャッジできるだけの専門家でしか、それに対するオピニオンは展開できないといっても過言ではないと思う。

日本でも大手企業が取り扱っていた健康情報サイトそのものがすべて取り下げられるという事態があったように、とにもかくにも情報をネット上に挙げ続けておくと言うことはとてもリスクがある。

ファクトかオピニオンか

報道は、本来、エビデンスをひろいあげ、その中にあるファクトを伝える作業である。しかし、そこにわかりやすさを与えるため しばしば報道には オピニオンがちりばめられることになる。

信頼するあるいは好印象のキャスターの発するオピニオンに対してはついつい判官贔屓になりがちだ。久米宏古舘伊知郎は報道のなかにたくみにオピニオンというふりかけをかける天才であったが、いずれも視聴者の反応に対する読み違えで立場を失い、番組から静かに退場している。

規制のゆるいインターネットめでぃあでは、オピニオンが満載である。書き手の独善的予見や期待に満ちあふれている(この記事だってそんなもののひとつに過ぎない)。

いずれにしても報道にオピニオンが入るとうさんくさくなる。

 

大本営発表はファクトか?

「ロシアのハッキングによってトランプに有利となった。」とする情報はしんぴょうせい性が高いとする見解を政府が公式文書で示したとCNNは得意げに報道した。

そこにエビデンスはない。その情報は「疑い」であってファクトではない。

フェイクニュースと大本営発表の間にある違いは自閉症スペクトラム障害におけるオレンジジュース理論「90%ウソはウソですか?では、50%ウソはうそですかホントですか?ではでは3%ウソはホントですか?」同様にどれも真実ではない。

 

トランプ大統領予定者の演説後の質疑王応答の場面で、もはや既存マスメディアは自壊していくしかないことを悟らされてしまった。

 

もはやファクトもオピニオンも外部には存在しない。確固たる自身がファクトでありオピニオンであるべき時代なのだと。

 

参考資料)

System1 politics

アメリカ大統領選サイバー攻撃、ロシアへの報復措置発表へ | ワールド | 最新記事 | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

クリティカルシンキングの基礎:「事実」と「意見」を区別する訓練|がんばらないバイリンガル育児

 

60歳以上を見たら近ずくべからず!?

高齢者の犯罪が増えている

http://www.npa.go.jp/keidai/keidai.files/pdf/essay/20131220.pdf

やや古いデータであるが、平成に入り18年間、犯罪件数の増加とともに高齢者に占める割合が高まっていることがこの資料から見て取れる。65-69歳の連中の暴力沙汰や恐喝がとても顕著に増えている。

 

そうしたトレンドはどうやらずっと続いているようで、平成26年度データでもその傾向は変わらない様子だ。団塊団塊ジュニア、ゆとりと題した以下にリンク貼ったニューズウィーク日本版の記事からもそうした傾向に拍車がかかっていることがよくわかる(-。-;

 

www.newsweekjapan.jp

 

 

なぜにこれほどキレる老人が増えているのだろうか。

 新人類世代の自分は、団塊世代団塊ジュニア世代にはさまれて生きてきた。

そうした環境下で自分が感じとっている団塊世代のイメージは、一言で言うと、競争する世代。ハングリー精神にあふれ、勝ち負けしかない世代の人たちだとぼくは感じている。さらに言えば、少なくともぼくが時々出かける能楽堂歌舞伎座の場にはどこを見渡してもそうした世代の人があまりに少ない。

もうすでにほとんどの方がリタイアしているわけだけども、どうも歴史を感じさせるような空間にはとんと彼らの姿を見ることがない。ではどこにいるかというとマンションの自治会の世話係をし、マンションの自治会イベントでジャズフェスとかオクトーバーフェスもどきをどんどん企画してくれるような人たちの中にその世代の姿を見かけることが多い。つまりエネルギッシュでとにかくまだまだ遊びは現役な感じなのだ。ところが彼らはあまり息子や娘と仲良くしている気配がない。

団塊ジュニア世代はというと親とは離れて楽しくやっているのが多い。少なくとも医者仲間で見るとこの世代はほとんどの開業志向ではないかともえるほどに、割り切りがよい。自分うあ今年もよろしく80歳代の親と自宅でのんびりと正月を過ごしたが、そんな話を団塊世代の方から聞くことはない。

 

前回の記事に書いたように高齢者が子どもの声をうるさいというのは、

恐らくは孫子との接点が少ない世代が増えていることそこに馴染みや理解や親密が欠如していることが一番の理由であるように思うが、保育所設置反対の意見に発展するのは、ぃまそこにいる高齢者が犯罪統計の示すように凶暴化しているからかもしれない。

元気な老人のこの凶暴性は老化に伴う必然なのかそれともアンチエイジングサプリの副作用なのか。

犯罪増加率1.5倍に対してその倍近い増加率を示す高齢犯罪検挙率の増加は果たして団塊世代とは固有の特異現象なのか自分もその歳になると過激になるのか兎にも角にもこの社会現象から目が離せない(-。-;

 

おわり