年越しそば😂
毎年毎年、とあるお店から年越し蕎麦をお取り寄せするのがこの10年の我が家の決まりごとだつた。ところが今年はどうした事情か注文したはずの蕎麦が届かない。
雪のせいで遅れてるのかなとのんびり待っていたが、さすがに大晦日となると家族の顔色も険しくなってくる。注文先に電話してみてももう年末年始の休みに入っていて連絡も取れない。
そんなわけで僕はそばを求める旅に出かけることになった。
日本橋に向かうその電車の中でこれまでの蕎麦屋にまつわる記憶が走馬灯のように思い出されてきた。
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暮れに蕎麦屋の長い行列に並ぶようになったのは40年ほど前のことだ。須田町にあるその名店は暮れにはいつも長い行列ができた。
蕎麦屋の長い行列に並ぶのは楽しい。
ご無沙汰なご近所さんや普段昼間は顔を合わさない知古ともチラッと目配せだけなご挨拶をすることができるからだ。
新春のご挨拶が職場や親戚だとすると、暮れの蕎麦屋の行列は趣味や飲み屋の仲間とかとの年納めのご挨拶といった風情。
若い彼女連れてなのか娘さんなのか分からずなままに合図するだけだったり、そのシラフのその立派ないでたちに思わず深々と頭下げてみたり。暮れの須田町(のちにぼくの行きつけは池之端に移った。理由は後述)はちょっとしたイベントだった。
長い行列に並んで暮れに江戸前のそばをいただくというのは湯島に住むようになってからはじまった。マンションという名の長屋。家主の峰尾さんのお人柄から住民はみな仲良しだった。そこで根っからの江戸っ子のを作法は学んだのだ。
10年ほど前にそれをやめた。
正確には25年ほど前に、まず須田町を卒業(?)させられた。理由は至極当然のことだった。暮れのお店の大忙しな最中にそば味噌つまみにぐだぐだと後輩と2人して4人席に陣取ってお銚子次々とあけていたからだ。
「うちは蕎麦屋だ。蕎麦食わないならさっさと帰れ!」
とつまみ出されそれ以来須田町にはいってない。そう出禁になったのだ。
それからは酒飲みにも優しい池之端に屋さを変えたが、そうこうするうちに店は無くなってしまった。というのも、その店、Instagram映えするとかで外国人が大挙して喰いもしないのにいろいろ注文。その(食べ物を粗末にする)態度に店主は怒り心頭、
「もうやめた」
と看板降ろしたらしい。
好きな蕎麦屋は、
- 豊玉の田中屋
- 赤坂の更科
- 須田町のやぶ
- 須田町のまつや
- 池之端のやぶ
- 目白の翁
- 湯島の古式もり
- 湯島のやぐ羅
- 広小路の蓮玉案
といったところだけどもうたたんでしまったところも少なくない。
田中屋までわざわざ電車とバスで行くのはちょっとつらい。ノーカーライフな自分にはハードルが高いのだ。目白通り沿いにあった翁はとうの昔に広島だか岡山だかに引っ越してしまったし、十割な『古式もり』も店主が肩を痛め、後継者いないからとたたんでしまった。やぐ羅も店たたんで久しい。
そんなわけで、ここ最近は、あたたかいにしんそばを京都から取り寄せ暮れに頂くことにしていたのだ。ところが今年はちょっと事情が違いそばもにしんも我が家には届いていない。
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日本橋のデパートの地下食品売り場まではたどり着けたけどそのレジ待ちの長蛇を見て、早々と諦め家に帰ることを決めた。
家族は昼ごはんも買って帰ってくれると思っていたらしくあわてて東京駅です駅弁を仕込んで帰路を急いでいる。
肝心の年越しそば問題は未だ解決してない。たぶん今年の大晦日は、最寄りのイオンの食品売り場にある蕎麦に家族でいつもと違うと難癖つけながら新年を迎えることになるのだろう。
まずは、昼飯食ってから考えることにしよう。
みなさんも良い年の瀬をお過ごしください。
合掌。
昼ごはんは、寿司清でお弁当と考えたけど店内混み合っててアラカルトは時間かかるからと若廣のアナゴとサバのお弁当にした。ご馳走様でした。
【その後のてんまつ】
いま紅白を観ながら蕎麦をすすっている。温かいきのこそばをいただき、2杯目は、同じく温かいにしんそば。
永平寺の10割そばは予想と異なり至極上等でおいしかった。
これで無事年は越せそうだ。
3枚だけ買った年末ジャンボも無事当たることもなく来年も普通な人生が待っているようだ。
2022年が皆さんにとって良い年になりますように。