学問に自由はない、あるのは利益相反行為的事由だけである!?
3年前、国際耳鳴学会でベルギーのブルージュをおとづれた。その時の基調講演で学問の自由が語られた。名前は忘れてしまったがフランスやベルギーでは著名な哲学者の方のお話だった。 #Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
その時語られたのが、学問の真の自由は保障され難いという話題であった。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
われわれは企業や国などさまざまな機関から資金的支援を受けて研究活動をしている。そこにはひも付きのものもあれば、比較的自由なものもある。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
その中でわれわれは常に利益相反行為とならないことを求められる。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
研究行為の成果は、資金提供者にとって都合のよい場合もあればその逆に都合悪いこともありうる。あるいは内容次第では解釈という方法によってその結果にバイアスがかかりうる。だから、学術研究は学会誌に投稿され、レフリーのジャッジを受けることになっている。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
企業から50万とか100万とかまとまった研究費をもらっている場合、その企業に関連する研究は行った研究者は利益相反の状況にあると解釈される。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
公的研究費はひも付き出ないから、学問の自由が保障されるという考え方から、大学の研究者は今、公的研究費の獲得に躍起になっている。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
豊洲の土壌問題や譲位に関する有識者会議や福島の放射能の問題は、多くの御用学者を登場させる結果となったが、そこから見えてきたのは、そうした学者か国民の血税で研究している。お金をくれているのが国民であると理解できてない方々少なくないことが見えた。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
われわれは常に誰かから支援を受けている。完全に誰からもフリーであることはない。その意味で研究は常に何らかの利益相反をもっている。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
たとえば人工内耳を支持することは、手話を守る人たちと対立する。#Academic freedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
補聴器と人工内耳は今のところうまい具合に落としどころをみつけている。#Academicfreedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
多様な価値観を認めつつ、自己の中では芯を持つ。これが一番大事だが、日本的文化は、個の中での多様性を求めるような教育がなされがちである。#Academicfreedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日
いかなる立場の人であってもそこには常になんらかの利益相反があるということになる。家族のためにというのも、あるいは神に誓ってという立場でさえもそれは利益相反となる。#Academicfreedom
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月16日