こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

いよいよ自分も「耳の不調!?」

 

毎週末、東京駅に降り立つとホッとする。

そんなことを言うと北関東や南東北の方には怒られそうだが、そう感じてしまう自分がいるのは事実だからしかたがない。那須で丸4年を暮らしてもこの地域の音韻メタファーを理解することが出来ない。

昨日は、江戸川区出身の看護学部の学生さんと少しばかり立ち話した。話題はこの地域の人たちの「優柔不断な感じ」のことである。「いくら会話しても相手がどうして欲しいのかがわからない。」とカノジョは言う。飲み会の場所を決めるのでさえもジモティな同級生は誰ひとりそこで口火を切らないという。それが最近の彼女のストレスだというのだ。

「この病気には薬物療法と手術療法の2つがあります。薬物療法は少し時間がかかりますが根気よくやれば1年で6割以上の方で良い結果が出ます。手術を選んだ場合はすぐに結果が出ますが手術そのもののリスクもあるのでそこをご自身で了解した上でご判断いただくことになります。」と説明すると「じゃあどちらでもいいので先生決めてください。」と返ってくるのがこの地域の患者さんの特徴だ(というか内科的なパートも外科的なところもひとつの診療科で包括してあつかう耳鼻咽喉科という診療科の特質がそうした事態を引き越しているともいえる。)。かつてはたらいた江戸川区のTR病院や浦安のJ大病院や千葉市のDJ病院にいたときとは大違いだ(開業耳鼻科医が内科的パートを、病院耳鼻科医が外科的パートを受け持つという分担が地域にしっかり根付いているというのが正解か)。

ひとつには開業医も含めての医療機関があまりに少ないために患者さんは病診連携とかいった手続きなしに直接情報もないままに大病院へ来るという地域的な構造がある。開業医からいろいろ聞いて自身で判断して来院というのではなくひとまず大病院で話しを聞いてからというスタンスなのだとおもう。だからカウンセリングしても最後の最後に自身で決めるということができないんだと思っていた。でも、看護の学生さんとの立ち話したことで、ボクの理解もすこしピントずれてたかなと。

大河ドラマ「八重の花」のときには、画面のなかで「薩長宇和島藩のサルどもが!」と会津勢がいきまくシーンを何度みていたから、この地では宇和島出身な自分はめいっぱいアウェイでそれ故にコミュニケートできていないんだと納得した時期もあったけど、それはボクの勘違いだったようだ。しかしその理由がわかるまでにまる4年もかかるとは(-_-;)。

 

PS

そういえば、那須の与一がこの地域の歴史的偉人だけど何で西日本出身の武将がこの地域の代表的偉人なの?

いまだにこの地域の人たちは自分の地元のひとを誇らしげにおもてにひっぱりだすというかホンネを語らない性分なのかもしれない。大田原城のお姫様の話なんかはとっても泣けてくるいい話なのにね。

 PS-2

四国にはいろんな方言があるが、宇和島藩の方言は関西圏型ではなく東京型のアクセントである。四国4県人のうち宇和島圏のひとが、特に東京(関東)志向をもつのは言語的ハードルの関係もあるようだ。宇和島弁では大阪だとすぐに四国の方言と見抜かれる。宇都宮のヒトが何年都心で暮らしても宇都宮弁が抜けない(だけど自分じゃ「ばりばりの江戸っ子並みに東京弁だぜ」)みたいなことが、宇和島圏のひとが東京に出て行っても生じにくいからかなのだろう。単語を置き換えるだけですぐに東京ことばというか標準語風に馴染ませることができるからだ。大阪だと同じことばを使うからそこで宇和島弁とばれるわけだ。東京ならそのことばを東京ことばに置き換えるだけだから方言克服がそれほど大変じゃない。