手話と人工内耳 過去をふり返って・・。
現在、新生児の難聴のスクリーニングは一般化しているが、1980年代後半はまだその黎明期だった。聴覚検査に用いられるABR検査装置はノイズに弱く、じっとできないこどもを調べるのはとってもたいへんなことだった。#新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
1990年代おわりの頃から新生児の聴覚を調べることが簡単にできるようになった。複雑で手間のかかるABRの診断を自動化するアルゴリズムが開発されたからだ。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
自動ABRと呼ばれる装置が登場しボクの仕事はなくなった。当時ボクは耳鼻咽喉科医の駆け出しでNICUで生まれたばかりの赤ちゃんの脳波やABRを記録することが仕事だった。自動ABRの登場によって多くのオージオロジストよりの耳鼻科医は仕事を失った。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
自動ABRはもうおそらく日本全国で90%近い普及率になっていると思う。だけど100%にいたらないのは自費扱いであるということがその理由のひとつとされている。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
難聴児の早期発見と一緒にこの20年飛躍的に進歩したのが人工内耳である。生まれつきの障がいで機能しない内耳の代わりに人工の装置が音を脳に届けてくれる。そんな画期的技術は1960年頃に開発され1980年代後半には臨床応用されていた。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
1987年頃だったと思うが、東京医大の船坂教授が、愛媛県出身のおばあさんに人工内耳を入れても東京弁は通じなかったが、ムスメとは伊予弁で楽しそうに話していたという自験例のはなしをしてくださったのは、聴覚医としての自分にとって非常に興味のあるお話だった。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
自動ABRをもちいた新生児聴覚スクリーニング(新スク)は、千葉県と岡山県がそのリーダーとして、日本の医学に貢献してきた。岡山県は全出生に対してこの新スクを実施し、難聴児に対しては積極的に人工内耳を装用させ、リハビリを行ってきた。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
千葉県は難聴のスクリーニングは行うが人工内耳を行う公的機関の整備にはそれほど力を入れてこなかった。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
人工内耳か、手話か、補聴器か、未だにその答えを出せていない。人工内耳はこの20年でデバイスの進化が著しく、これからもその進化は泊まるところがなさそうだ。あるアメリカの生理学者は皮肉を言う。人工内耳手術は耳鼻科医の偉大なるチャレンジである。」と。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
最初に人工内耳を装用したこどもたちが成人を迎え、大学を卒業する。そんな時代がいま訪れている。もちろん当時の技術の人工内耳をそのままに使っている例もあればデバイスの入れ替え手術を受けたかたもいる。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
進学率とか就業率という視点から見ると、人工内耳と手話で人工内耳がとくに優れるという結果は今のところでていない。新スクだけで人工内耳には積極的に取り組んでこなかった千葉県でもそうした不作為が社会的なQOLに悪い影響を及ぼしているとは言えないようだ。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
人工内耳を実施する医療機関は、一定の耳科手術の件数を維持しているハイレベルのところに限られている。これは行政による規制によるものでもある。少子化に伴い出生500人に1人の割合で生まれてくる先天性高度難聴の赤ちゃんの総数も減ってきている。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
カップルを遺伝診断することによってそのカップルから生まれる赤ちゃんが聾になる確率を知ることができるようになったからだ。ダウン症の羊水スクリーニングで疑陽性の時に堕胎を選ぶかたが高率にいることを考えるとそのうちに難聴遺伝子は淘汰されるかも知れない。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日