こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

なぜ難聴として自覚する人と耳鳴として苦しむ人がいるのか?

こんにちは 聴覚評論家のなかがわです。
きょうは「難聴として自覚する人と耳鳴として苦しむ人がいるのか?」について考えてみます。
難聴とはなにか?
単純に考えると聞こえないことでしょということになってしまうが、そうなるまえの長い期間、よく聞き取れない、違って聞こえるという状態が永らく続きます。そうした時期は、自分から聞きやすい位置に移動したり、聞き直したり、相手に大きめの声で話してもらったりでなんとかしのぐことができます。だけど、聞きやすいポジションにいつでも移動できるとは限らないし、相手が言い直してくれたり、大きな声で話してくれるとは限りません。大きな声を出せないなんて事情があるときだってあります。
難聴者の方に自身のきこえについて尋ねると「途切れ途切れに聞こえる」とか「くぐもって聞こえる」なんて表現をされることが少なくありません。難聴は聞こえないのではなくはっきり聞こえない状態なのです。
タモリ空耳アワーじゃないですが、はっきり聞こえないとわれわれの脳は思い込みで情報処理します。つまり、話がかみ合わなくなってしまうわけです。
そうした齟齬があるにもかかわらず不思議なことに雰囲気だけで会話は進んだりしてしまいます。きこえの不調はお互いが深く知り合うためのコニュニケーションを台無しにしかねない大問題であるのです。
難聴な人の不思議な現象としてウィルスの錯聴があります。これは、静かなところでは聞こえないのにうるさいところでは途端にきこえがよくなる現象のことで若い時はきこえは良かったけど大人になってから遠くなってきたというような人にしばしば観察されます。
途切れ途切れに聞こえていたのか、その無音部分を周囲の雑音が穴埋めすると本来の音のエンペロープをイメージできるよになり、ことばをシメージするのが容易になるからです。
聾が全く聞こえない状態であるのに対して、難聴はその程度により実に様々な表現形を持っています。

音韻修復
ウィルスの錯聴ににた現象は健聴者でも生じます。音声情報から時間軸にそってくし形に情報をさっ引くとことばは急に生気を失い、誰が聞いてもその意味さえわからない空虚なものに変わってしまいます。
ところが、そこにノイズを重ねるとその姿があらわれてきます。
過去ログでもこの話は図入りで解説してますから読んでみてください。
耳鳴り
厄介なのは耳鳴りです。何が厄介かというと、それは症状であっても疾患名でないこと。めまいやしびれなど同じいわゆる不定愁訴の仲間の一つだからです。
耳鳴りを引き起こす原因としては、血液サラサラや骨粗鬆あるいは一部の抗菌薬などお薬の副作用、血圧や脈の変化と言った一過性な変化として耳鳴が出ることが少なくありません。不眠や脱水などでも起こります。だから耳鳴のみの場合にはまず放っておいて構いません。大概が数日以内に消えるからです。ちゃんとなおさなきゃいけないのは月単位で続くしつこい奴やめまいや難聴を伴うタイプです。そうしたものの中には一刻を争うものもあります。
それでも一番多いのは、難聴に伴う耳鳴です。おそらく八割くらいは加齢性難聴に伴う耳鳴です。
難聴があっても耳鳴を言わない人もたくさんいます。難聴を自覚して聞こえない聞き取れないという人と耳鳴が邪魔して聞こえないという人に分かれるのです。

耳鳴は脳の可塑性
ダラス大学のメーラーは耳鳴を脳の可塑性が原因であるといいます。不適切な可塑性の発現で耳鳴が生まれると。
でも音韻修復のことを考えると難聴で聞こえない分をなんとか聞きやすくするために脳がノイズを作っているだけじゃないかと思えてくる。
確かに耳鳴は、脳の可塑性の発現だ。だけと誰もそれをポジティプに捉えていない。

耳鳴の原因の研究は耳鳴のない人の研究でしか答えが得られないのかもしれない。そう思うとこれまでの汗はなんだったのかと自分の無能を悔やむばかりだ。