#耳の日 #WorldHearingDay
日本は、33でみみとダジャレ風に耳の日を制定した。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
世界は3が耳のかたちだと3月3日を耳の日とした。https://t.co/7Y5yQDhlQQ#耳の日 #WorldHearingDay
WHOのサイト( https://t.co/HYwFXmnptz )いくとわかるけど、英語、スペイン語、中国語、ロシア語、フランス語、アラビア語の解説しかない。ドイツ語と日本語とイタリア語での説明がない。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
#耳の日 #WorldHearingDay
2014年10月1日 米国シアトルで世界一うるさいサッカースタジアムのギネスレコードが記録された。その音圧なんと 142.2デシベル。1日許容レベルで言うと1秒未満なうるささの場所でサッカーファンは2時間近くを過ごしたことになる。 #耳の日 #WorldHearingDay
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
難聴の原因は、ノイズ>喫煙・高血圧・糖尿病>薬剤の副作用>感染症>遺伝などがある。生まれつきの難聴や成人してからいっきに進む難聴など遺伝性のものはいろいろある。これはきっと将来の遺伝子治療が解決してくれるだろう。 #耳の日 #WorldHearingDay
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
周産期とか新生児期にもウイルス感染や黄疸などが原因で難聴になることがある。これも小児科医の努力によっていまは激減している。 #耳の日 #WorldHearingDay
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
中耳炎は伝音難聴の大きな原因である。抗生物質(抗菌薬)の進歩によってこれもかつてないほどに少なくなっている。耳の手術を必要とする患者層の年齢が高齢にシフトしていることからもそのことは肌で感じている。 #耳の日 #WorldHearingDay
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
かつて抗結核薬のストレプトマイシンは多くの患者の命を救ったけど難聴という副作用ももたらしてしまった。こうしたアミノ配糖体に分類される抗生物質には耳毒性がある。おなじような塩基構造をもつ薬剤には大なり小なりそうした危険が含まれている。 #耳の日 #WorldHearingDay
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
薬剤性難聴は、ガンの治療に用いられる白金製剤でも生じることが知られている。適正量を使うことが副作用回避に重要であるが、腎機能が落ちていると腎毒性の物質の排泄がとどこおり、難聴のリスクが高まってしまう。 #耳の日 #WorldHearingDay
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
喫煙、高血圧に共通する病態は動脈硬化。耳も臓器だから血行が悪くなれば機能不全に陥る。血管炎をきたす疾患はだからどれも耳に悪影響する。たとえば糖尿病。 #耳の日 #WorldHearingDay
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
難聴をもたらすリスクはいろいろ。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
現代社会でもっとも注意が必要なのは「音」。
耳は音を聞くためにあるのに「音」によって傷んでしまう。
紫外線で皮膚が痛んだり、
ドライアイや紫外線で角膜が白濁したりと同じ。
過ぎたるは及ばざるがごとし。 #耳の日 #WorldHearingDay
どれくらいうるさいと耳に悪影響が出るの?
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
130デシベルで1日1秒未満。
雷が数発落ちればもうその後しばらくは耳養生がなければ耳は傷んでしまう。
雷銀座である那須塩原あたりは住むだけでもリスキーということ。
#耳の日 #WorldHearingDay
どれくらいうるさいと耳に悪影響が出るの?
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
115デシベルで1日28秒未満。
ロックコンサート会場には耳栓なしでは30秒以上いてはいけないことになる。
ロックコンサートは「大量内耳破壊装置」だ!
#耳の日 #WorldHearingDay
どれくらいうるさいと耳に悪影響が出るの?
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
95デシベルで1日47分未満。
ヘルメットをかぶっていてもうるさいオートバイならそれくらいある。
サーキットのパドッククルーはみな耳栓しているし、レーサーはヘルメットのしたに耳栓している。
#耳の日 #WorldHearingDay
どれくらいうるさいと耳に悪影響が出るの?
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
95デシベルで1日47分未満。
電車の中でイヤホンで音楽を楽しむときも車内アナウンスが聞き取れなければまずこれくらいの音量にはなっている。
通勤で耳を痛めているひとの多いこと。
#耳の日 #WorldHearingDay
どれくらいうるさいと耳に悪影響が出るの?
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
うるさい音は耳を痛める。それはうるささとさらされた時間の積分値できまる。
#耳の日 #WorldHearingDay
どれくらいうるさいと耳に悪影響が出るの?
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
2次喫煙の害が言われているけど、よかれと思ってがなり立てるような構内アナウンスや場内放送もじつは皆の耳を危険にさらす有害なもの。
#耳の日 #WorldHearingDay
音源との距離が半分になると6〜8デシベルおとが大きくなる。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月2日
遠くのヒトまで伝えようとするとおのずと大きくしてしまいがち、すると音源の近くのヒトは耳を痛めんばかりのおとに曝されることになる。
#耳の日 #WorldHearingDay
音は大事な情報だけど、節度もってほどほどにつきあうべきもの。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年3月3日
お肌のことや目のことをいたわるように、耳栓はいつも上手に使いたい。https://t.co/mgqQHwhdtH
#耳の日 #WorldHearingDay
DSD 11.2の迫力はハンパない(~_~;)
昨日は、仕事で、オーディオ評論家の藤原さんらと鼎談。
最高級オーディオシステムで、クラシック、ジャズ、歌謡曲を聴く機会がありました。
ハイレゾとスーパーCDとノーマルCDを聞き比べました。
ケーブルの値段まで入れるともはやレクサスの最上級モデルを余裕で超えるそのお値段にまず驚愕しました。
実際に音を聞いて、聞こえると聴こえるとは違うんだと。
自分の普段の音の貧しい生活を良しとしていることをおおいに反省させられました。
スピーカーのコーンの直径は17センチメートル以上ないとことばは綺麗に聞こえない、音源に情報が足りないと聴こえないということをはっきり実感できる企画でした。
さて、
実はこの鼎談ちょっと変わった企画で、いろんな仕掛け満載だったのです。いろいろ話したいのですが、今回はさわりだけ。というのもそのくわしい内容は5月に刊行されるステレオサウンド社のムックに掲載されますので。
お楽しみに(^o^)
#補聴器か人工内耳か手話か それが問題だ。
1990年代後半から始まった新スク(新生児聴覚スクリーニング)によって難聴乳児を発見できるようになった。それまでは聞こえなくても勘の良い児は難聴だと医療者も家族も気がつかなかったケースが少なくなかったからそれはとても画期的なことだった。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
出生するとまず自動ABRでスクリーニングが行われる。その名の通りスクリーニングであるから精度はよろしくない。メーカーとか機種によっても異なるが、出生1~2/500の割合で発生する難聴児を見つけるために10~20/500のふるいをかけることになる。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
だからスクリーニングをはじめた頃はたいへんだった。難聴児でもないこどもまで網にかかる。そこで2次スクリーニングが必要になるが、それまでのあいだにお母さんがめげてしまう。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
へたすると育児拒否さえある。当時は言語聴覚士も臨床心理士も病院に配置されていない時代だったからそれはそれはとにかくたいへんだった。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
2次スクは、耳鼻科医による耳の診察、耳音響放射検査による内耳機能評価そしてABR精密検査が行われる。生まれた直後には耳の中に羊水とか胎脂とか入っている。それが原因でリファーになることもある。だからホントは耳鼻科医の診察が先が理にかなっている。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
新スクの体制が整備されても2次スクは2~4週間待ちになることが少なくない。出生後の1ヶ月は母子コミュニケーションの一番大事な時期だから、ここで母親がめげたらたいへんだ。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
精密ABR検査を受けることで難聴のレベルがわかる。さらにASSRとかチャープABRとか受けることでどれほどの残聴があるかもわかってくる。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
聴覚の活用が可能であるなら補聴器の装用と言うことになるが一般的にベビー補聴器の開始は生後6ヶ月から行う。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
難聴児はまず生後6ヶ月時に補聴器装用から開始する。1歳6ヶ月時の時点で補聴効果が乏しいときさらなる善後策の検討が必要になる。埋め込みデバイス(人工内耳、埋め込み補聴器)などの適応が議論されることになる。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
手話をえらぶか人工内耳かの判断は(本人抜きで家族による)多数決で決まる。「聴覚障害児の9割以上は健聴両親 から生まれる。」からCIを選ぶ人が目立つが両親が健聴か聾かで実はその選択は全く異なる。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
手話の獲得は、「聾児の9割が健聴両親から生まれる」こともあって、聾学校など聾者のコミュニティのなかで始まることがおおい。広義のサイン言語という視点からみると、日本手話、日本語対応手話、ハンドサイン、指文字、キュードスピーチなどなどいろいろある。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
ABRでは低域の残聴を発見することが難しい。難聴と診断されたが実際には低域で正常な聴力を有している例もある。そうした高音域の障害がメインのこどもにうまく適応させることのできる補聴器として周波数移転(圧縮)タイプの補聴器がある。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
内耳性の難聴はやっかいだ。いまのところいくつかの検査を組み合わせてでしか障害部位をあきらかにできない。鼓膜ならティンパノメトリ、耳小骨ならあぶみ骨筋反射かSRDECAY、外有毛細胞なら耳音響放射ということになろうか。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
標準純音聴力検査は大きくなって言語を理解できる時期にならないと実施できない。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
大きくても認知機能に疑念があるときは他覚検査が必要だ。 #補聴器か人工内耳か手話か
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月9日
手話と人工内耳 過去をふり返って・・。
現在、新生児の難聴のスクリーニングは一般化しているが、1980年代後半はまだその黎明期だった。聴覚検査に用いられるABR検査装置はノイズに弱く、じっとできないこどもを調べるのはとってもたいへんなことだった。#新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
1990年代おわりの頃から新生児の聴覚を調べることが簡単にできるようになった。複雑で手間のかかるABRの診断を自動化するアルゴリズムが開発されたからだ。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
自動ABRと呼ばれる装置が登場しボクの仕事はなくなった。当時ボクは耳鼻咽喉科医の駆け出しでNICUで生まれたばかりの赤ちゃんの脳波やABRを記録することが仕事だった。自動ABRの登場によって多くのオージオロジストよりの耳鼻科医は仕事を失った。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
自動ABRはもうおそらく日本全国で90%近い普及率になっていると思う。だけど100%にいたらないのは自費扱いであるということがその理由のひとつとされている。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
難聴児の早期発見と一緒にこの20年飛躍的に進歩したのが人工内耳である。生まれつきの障がいで機能しない内耳の代わりに人工の装置が音を脳に届けてくれる。そんな画期的技術は1960年頃に開発され1980年代後半には臨床応用されていた。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
1987年頃だったと思うが、東京医大の船坂教授が、愛媛県出身のおばあさんに人工内耳を入れても東京弁は通じなかったが、ムスメとは伊予弁で楽しそうに話していたという自験例のはなしをしてくださったのは、聴覚医としての自分にとって非常に興味のあるお話だった。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
自動ABRをもちいた新生児聴覚スクリーニング(新スク)は、千葉県と岡山県がそのリーダーとして、日本の医学に貢献してきた。岡山県は全出生に対してこの新スクを実施し、難聴児に対しては積極的に人工内耳を装用させ、リハビリを行ってきた。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
千葉県は難聴のスクリーニングは行うが人工内耳を行う公的機関の整備にはそれほど力を入れてこなかった。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
人工内耳か、手話か、補聴器か、未だにその答えを出せていない。人工内耳はこの20年でデバイスの進化が著しく、これからもその進化は泊まるところがなさそうだ。あるアメリカの生理学者は皮肉を言う。人工内耳手術は耳鼻科医の偉大なるチャレンジである。」と。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
最初に人工内耳を装用したこどもたちが成人を迎え、大学を卒業する。そんな時代がいま訪れている。もちろん当時の技術の人工内耳をそのままに使っている例もあればデバイスの入れ替え手術を受けたかたもいる。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
進学率とか就業率という視点から見ると、人工内耳と手話で人工内耳がとくに優れるという結果は今のところでていない。新スクだけで人工内耳には積極的に取り組んでこなかった千葉県でもそうした不作為が社会的なQOLに悪い影響を及ぼしているとは言えないようだ。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
人工内耳を実施する医療機関は、一定の耳科手術の件数を維持しているハイレベルのところに限られている。これは行政による規制によるものでもある。少子化に伴い出生500人に1人の割合で生まれてくる先天性高度難聴の赤ちゃんの総数も減ってきている。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
カップルを遺伝診断することによってそのカップルから生まれる赤ちゃんが聾になる確率を知ることができるようになったからだ。ダウン症の羊水スクリーニングで疑陽性の時に堕胎を選ぶかたが高率にいることを考えるとそのうちに難聴遺伝子は淘汰されるかも知れない。 #新生児聴覚スクリーニング
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月8日
# System 1 Marketing
トランプさんが調査結果に基ずく意見を汲み上げて自身の決定をしているといっていることに対して既存のマスメディアは猛反発しているというのが現時点での世相のようです(2017.02.06.)。マスメディアはサンプル調査しかできていないという意味でバイアスを内包しつつ、トランプさんは選挙結果というビッグデータをもとに自身の支持者の多数意見を採り上げる。お互いの物差しが異なるために意見がまとまることはなさそうです。
そもそもが「クリントンはなんか信用できない。」とか「トランプ嫌い!」という情動にはたらきかけるスタイルの二極対決となったこの選挙がそもそもの不幸の始まりでした。
System 1 ポリティクスとかマーケティング とはなんなのか。すこしつぶやいてみました。
世論調査でも市場調査でもそこにはつねにバイアスがある。たとえばCNNの視聴者の8割は民主党寄りらしいし、どんなにブラインドテストで味が優れていると言われていても、コカコーラに勝てないブランドもある。#system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
小池さんのやり方はトランプさんと同じsystem1politics #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
小沢一郎による中選挙区制から小選挙区制への以降は思わぬ副作用を生み出してしまった。好きか嫌いか。system1politicsという単純化。#system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
五択は冷静な結果を生むが二択は好き嫌いとかカンが入ってくる。 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
6択とか10択とかは、クラッター化して2択と同じになってしまう。#system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
いま目の前で展開されている政治の出来事。アメリカと東京のこのふたつの場所でのショーはまさしくsystem1 politicsである。 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
かつて模倣はみずからのスキルを高め次なる飛躍のための修練みたいなニュアンスがあった。高みを望まない連中は模倣が目的で終わってしまう。 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
つまり遅れて市場に入るときは、その市場がまだクラッター化していないことが条件になるといえるでしょう。
模倣品があふれると悪貨が良貨をではなくて良貨もデフレスパイラルに巻き込まれてしまう。高度に進化した市場主義に理性はない。 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
しかし模倣品はいろんなところからいっきに増えます。だからいっきにクラッター化して本家とか元祖であっても知らない間に追いやられてしまう。
アップルはけっして一等いちばんでことを興してはいません。いつも3番手あるいは5番手で参入しつつ、しかし参入にあたっては先行する企業を破壊するための戦略は確実に準備したうえでやってきます。それと同時にブランド化戦略も抜かりありません。
たとえばミシュランで星がついた寿司屋や蕎麦屋のいまの現実を考えてみてほしい。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
食文化のクオリティの片翼は間違いなく玄人の顧客によって支えられている。 #system1marketing
顧客の種類というものも実は意識が必要だと言えます。値段をひとつのフィルターにするという方法が一般的には行われていますが、所得格差が進んだいま、金持ちでも作法のないのはたくさんいるのが現状です。そして異文化からの客はガラパゴスなわれわれの文化を理解できていないというか、日本文化リテラシーに欠如している。だからいろんな問題が生まれやすいと言えるのです。
温泉旅館に外国人が殺到し、その作法の傍若無人に辟易した日本人はもう温泉はいいやと行かなくなる。そんなことも起こっている。 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
systemは2つある。爬虫類脳によるsystem1とヒト大脳によるsystem2。 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
そういえば、人間には2種類ある。バイクに乗る奴と乗らない奴だ。というケンタウロスボスのことばはsystemのことだった。#横浜ケンタウロス、 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
脱線しますが、バイクは明らかにシステム1に働きかける乗り物です。自分で運転する車(自動車)はもうすぐ自動で運転してくれる車(自動^2車)に変わってしまいます。おそらくこれからの車はこれまで以上に消費されるためのグッズのひとつへと変化するのでしょう。
ヘイトスピーチも代理戦争もsystem1marketingという点では同じ。片方が良くてもう片方はダメというのはなぞだ。 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
いつの頃からマスメディアは情動に訴えるだけのくだらない仕組みになったのだろうか。久米ひろしさんのニュースステーションあたりのエビデンスからオピニオンはと報道の潮目が変わった頃からだろうか。 #system1marketing
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年2月6日
二者択一は、どちらの政策がよいかではなくどちらが好きか嫌いかに容易に落とし込めるということがここに来てみえてきたのはある意味、選挙制度にもとづく民主主義の限界なのかも知れません。つい先日、小池陣営の勝利で終わった都の選挙も結局はSystem 1 的でした。彼女もまた時期がくれば次なる候補に同じような手法で追いやられるのでしょう。それがシステム1ポリティクスの宿命です。
こうした政治手法は、破壊的イノベーションとM&Aで巨大化するさまざまな事業とほとんどその形態が同じで、われわれはいまほど政治からいろいろなディールのやりかたを学べることはないのでは・・・。
#なぜ難聴になるのか
喫煙規制の次は「騒音規制」! WHOもそう言っています。社会から95dB以上の音の発信をまず規制しないことには難聴問題は解決できません。 https://t.co/zKjQq0slba
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
なぜ難聴になるのか。遺伝(先天性、後天性)、感染(中耳炎)、騒音、喫煙、高血圧の5大因子が難聴の原因。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
遺伝診断もできるし、そろそろ遺伝子発現とかiPSとか。遺伝の問題はそう遠くないみらいに解決します。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
抗菌薬のおかげで中耳炎は劇的に減りました。おかげで中耳炎による難聴も激減。肺炎球菌ワクチンがこどもにも適応されるようになればもう滲出性中耳炎もなくなるかも知れません。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
喫煙問題は社会が取り組む課題。2020年には日本から2次喫煙のリスク要因が取り払われる。30年後には喫煙によるあらゆる疾病の激減があると思います。当然、喫煙が関係する難聴も減る。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
高血圧は万病のもと。圧で開ききった血管は脈動を失う。血管壁の硬化も生み出す。なにより脈動のない血管ほど内皮が障害されやすいものはない。つまりさび付いて内径が狭くなった水道管みたく血管はダメになっていく。その始まりが高血圧。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
今後30年の計としてはじめるとすれば、それはもう社会騒音の制御しかない。ロボット化で騒音職場で働くヒトは居なくなる。もはや職業性難聴は過去のものになりつつある。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
那須塩原のホームではやぶさが通過する時、95dB超を記録できる。ホームで待つのは耳に悪い。新幹線車内の騒音は75-90dBだから、4時間以上の乗車は耳に悪い。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
乗用車の騒音は80-85dBくらい。だから乗用車でも1日8時間の乗車で難聴リスクありと言える。たのしい家族みんなでの帰省がじつは皆の聴えを徐々に悪化させているイベントだと知った日には・・・(-_-;) #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
最近気がついたこと。良いイヤホンと悪いイヤホンがあること。低域のブースターを使うのは明らかに耳に悪い。ダイヤフラグムを大きくして低域をかせがないと耳に負担ばかりかかってしまう。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
USD社のクリアネスイヤホンは、コーンが直径1.0cm.弱。だから鼓膜と同じ特性でとてもソフトに聞こえる。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
スピーカならやはり直径17cm以上のものを使うべき。そうでないとよほど設置位置をcmレベルで計算しないと位相差を楽しめない。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
音量を上げるのではなく、周囲の環境を静寂化させる。それが正しい音の聞き方。 イヤホンは本来静かな場所で音を正確にモニタリングするための装置でした。 #なぜ難聴になるか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
サイエンティフィックアメリカンという科学雑誌(2015年9月号)によるとあるサッカースタジアムでギネスレコードの140dBが記録されたそうだ。これは1秒で難聴になるリスク。#なぜ難聴になるのか
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年1月30日
節分のこと
恵方巻
なんだか知らないうちに恵方巻きを食べることは当たり前な習慣になってきた。
バレンタインデーに始まりホワイトデイ。そして続いて出てきたのが恵方巻きだ。いずれもマーケティングの専門家が知恵を絞ってあみ出したすばらしいビジネスモデル。
最近ではこうした仕掛け人がさらなるイベントという位置づけでハローウィンもビジネスモデル化してきている。
貝原益軒のアイディアで生まれた土用のウナギ同様のはなしで、こうした習慣とか慣習と思われているものの多くはビジネスパーソンのアイディアにわれわれ消費者がみごとにしてやられているにすぎない。
で、今回もまた2月3日が近づくにつれ恵方巻きが話題になりはじめてきた。
若い人たちと話すとまるで恵方巻きを食べるという習わしは何百年前からもあったかのようだ。
「先生のご実家だと恵方巻きにはなにを巻くんですか?じゃこ天とかちりめんじゃことかですか?」
なんて質問してくるのもいる。
「ふざけるなそんな習慣は宇和島にはない!」
なんて怒鳴ることもなく、
「ふんふん」
とそんな彼らの質問を受け流している。
十字路と魔界
今朝のNHKラジオでは、なにか聞きなじみのあるトーンのおばさんが登場していた。
残念ながら宇和島じゃなくて宮島のかただったのだけど、
彼女の節分の習わしの話には耳をうばわれた。
- カエシ(カイシ・ちり紙)に節分豆を年の数ほどそして気持ちばかりのお金といっしょに包む。
- そのつつみをたずさえ、夜中に十字路まで出かける。
- 交差点に、背を向け、後ろに放り投げるようにそのお包みを投げる。
- けして、ふりかえらずいちもくさんで家までかえる。
というそれだけの話だが、
ぼくはあっという間に50年前の小学生の頃にタイムスリップしてしまった。
交差点は魔界との結界
子どもの頃の自分は交差点でそれを放り投げる儀式のために、節分の夜は決まって年の数ほどの豆と賽銭(さいせん)を丁寧にカエシにつつむことをを毎年かかさず行なっていた。決死隊さながらに神妙な気持ちでそれをしていた。
四国は、えんま様信仰もさかんだ(善通寺には戒壇巡りもあるくらいだ)。
そうした習わいはどこの家庭でもあたりまえのように行われていたと憶えている。ぼくの価値感のなかではえほう巻きよりもこれのほうがよぼど大事な記憶だ。
節分は、えんま様のお正月
正月に神社にお詣りに行くように、節分の夜は魔界への入り口がある交差点にいく。
そしてて神社に神社の作法があるように、えんま様の使者である鬼に、ぼくらは豆と賽銭を奉じる。そう、ぼくは「ウソついていません。悪いことしてません。だから鬼さんそのことをえんま様にも伝えてくださいね。」と地獄に行かないですむさんだんを念じていた。
翌朝、小学校への登校のすがらその交差点を横目に見ても、昨夜投げたあのつつみはないし、豆クズもお金も散らばっていなかった。
だからぼくは本気で、交差点は魔界とのさかいで、賽銭と豆を鬼が取りにやってきていると信じていた。
あの頃は、夜になるとほんとうに闇のようになり、交差点は月明かりくらいしかなかった。「シーン」とよるの静けさだけが聞こえてくる。今のような該当の明るさからは想像できないくらいに新月の夜などは漆黒の夜だった。
「さても魔界の鬼いでてぇ、豆と賽銭をしっかと持っていたとなぁ」
と朝から震え上がっていた。
いつしか忘れていただいじな習慣
東京に来てからはサッパリそんなこともしなくなってしまった。
なんどかそんなふうに豆を交差点に放り投げたことはある。だけど翌朝にはゴミの残骸にしかなっていなかった。おまけに交差点にはぼくの放ったのがあるだけだ。
東京にそんなことをしている人はほかにいらっしゃらない。
道路にはさみしくというか個汚く、ぼくの投げた豆と小銭が散らばっていた。
節分の翌朝は、自分のまいた豆とお金を自分で片付ける。何度かそれをくり返すうちにこの大事な慣習を封印してしまっていた。そのことをラジオの中の宮島のおばちゃんが教えてくれた。
こどもたちは大きくなり、それぞれに忙しくなった。
皆が揃うこともない。
自宅でのまめまきもそぞろ勢いがなくなった。
ましてや年の数ほど豆をたべるのは、もうなんとか避けたいそんな年になってしまった。
このままでは普通に節分を過ごすこともなくなるのではと思うようにもなってしまっている。
鬼も住めない大都会
もう鬼もおちおち出て来れないくらいに都会は恐ろしいところになった。ぼくの住まうこの東京は鬼さえも近づけないおそろしいところなんだとそんなことを思っていた。そのことさえすっかり忘れていたことを今朝のラジオで想い出さされた。
ラジオの中のおばさんの声
ラジオの中で宮島に住まうというおばさんは、そんな作法についてくわしく話をくわしくしてくれた。
月曜日の朝はきまって、NHKラジオを5時から聞いている。どちらかというと番組を聞いているのではなく、番組と番組の切り替わりの時のエンディングに流れる音楽とか、どこかいなかのかたの地元自慢とか有名な先生の健康に関するお話とか、内容じゃなくてその音声とか会話のリズムかを時計がわりに、朝の身支度を進めている。
ところが今朝のラジオの中のおばさんの声はどこか懐かしいリズムを持っていた。自分の中の年長のかたのイメージにぴったりあてはまる。標準語でお話しされてるのだけど、そこにはそう郷里のニュアンスのリズムがあったので聴き入ってしまった。そんなこともあって今朝の身支度はてが止まってしまい少しいつもより手際が悪くで遅れそうになってしまった(~_~;)
豆はどこに行った?
幼いころに毎年行なっていた年の数ほどの節分豆と賽銭を交差点に投げるあの豆とお金はどこに消えたのだろうか。
(きっと四国にはまだ鬼がいるんだ。宇和島には鬼ヶ城もあるし・・。)
いまでも節分の時期にはきっとえんま様の使いの鬼が宇和島にはやってきてきてるに違いない。
なにより鬼も怖がる都会にはそんなに長居するもんじゃないなと、すこしながくなりすぎた都会生活を反省した。
さて今年は、どんな節分(恵方巻き)になるんだろう。