60歳以上を見たら近ずくべからず!?
高齢者の犯罪が増えている
やや古いデータであるが、平成に入り18年間、犯罪件数の増加とともに高齢者に占める割合が高まっていることがこの資料から見て取れる。65-69歳の連中の暴力沙汰や恐喝がとても顕著に増えている。
そうしたトレンドはどうやらずっと続いているようで、平成26年度データでもその傾向は変わらない様子だ。団塊、団塊ジュニア、ゆとりと題した以下にリンク貼ったニューズウィーク日本版の記事からもそうした傾向に拍車がかかっていることがよくわかる(-。-;
なぜにこれほどキレる老人が増えているのだろうか。
新人類世代の自分は、団塊世代と団塊ジュニア世代にはさまれて生きてきた。
そうした環境下で自分が感じとっている団塊世代のイメージは、一言で言うと、競争する世代。ハングリー精神にあふれ、勝ち負けしかない世代の人たちだとぼくは感じている。さらに言えば、少なくともぼくが時々出かける能楽堂や歌舞伎座の場にはどこを見渡してもそうした世代の人があまりに少ない。
もうすでにほとんどの方がリタイアしているわけだけども、どうも歴史を感じさせるような空間にはとんと彼らの姿を見ることがない。ではどこにいるかというとマンションの自治会の世話係をし、マンションの自治会イベントでジャズフェスとかオクトーバーフェスもどきをどんどん企画してくれるような人たちの中にその世代の姿を見かけることが多い。つまりエネルギッシュでとにかくまだまだ遊びは現役な感じなのだ。ところが彼らはあまり息子や娘と仲良くしている気配がない。
団塊ジュニア世代はというと親とは離れて楽しくやっているのが多い。少なくとも医者仲間で見るとこの世代はほとんどの開業志向ではないかともえるほどに、割り切りがよい。自分うあ今年もよろしく80歳代の親と自宅でのんびりと正月を過ごしたが、そんな話を団塊世代の方から聞くことはない。
前回の記事に書いたように高齢者が子どもの声をうるさいというのは、
恐らくは孫子との接点が少ない世代が増えていることそこに馴染みや理解や親密が欠如していることが一番の理由であるように思うが、保育所設置反対の意見に発展するのは、ぃまそこにいる高齢者が犯罪統計の示すように凶暴化しているからかもしれない。
元気な老人のこの凶暴性は老化に伴う必然なのかそれともアンチエイジングサプリの副作用なのか。
犯罪増加率1.5倍に対してその倍近い増加率を示す高齢犯罪検挙率の増加は果たして団塊世代とは固有の特異現象なのか自分もその歳になると過激になるのか兎にも角にもこの社会現象から目が離せない(-。-;
おわり
了見が狭くなった新高齢者世代
多数決による民意決定はいたるところで弊害を生み出している。道理をわきまえない人たちが一定数集まってしまうとそこには大人数が生み出すエゴとか暴力みたいなものが生まれてしまう。
だから例えば政治においては圧倒的多数を誇る政党であっても野党の意見をくみしたり、弱者救済的に自説を曲げての融和をはかるというのがこれまでであった。
民主党が政権を取ったとき菅直人は「民主主義とは数にもとずく独裁である」と自分が野党だった時に譲歩されていたことをすっかり忘れた言動を取ってしまったことが記憶に新しいように、数の暴力というものが最近少しずつだけども目立つようになってきた。
人頭数をベースに多数決をとるとしたらどうなるのだろうか?
例えば米国の大統領選は巧みな仕組みになっている。一人一人の投票は決して直接選挙には結びついていない。選挙人の選択でしかない。しかも、その州の得票率に応じて選挙人数が決まるのではなく、選挙結果によって選挙人の総取りになる。だから総得票数ではクリントンであったけど、選挙人数ではトランプという逆転が生まれた。
現在のアメリカ国民はこのことの顛末にこまった気持ちを表明するものが少なくない。選挙人のシステムか選挙権のある国民の数だけをベースにしてしまうかというジレンマについてだ。例えば、今回の大統領選挙を数の上での優位者であるクリントンをやはり押すべしという意見を展開することは人口多数決を是とすることにつながる。この論理では中国はいつも正義になってしまいかねない。
独立した個人というものが確立して民主主義のポリシーがしかと根付いているわけではない現状のアジアや中東において民主主義を展開してしまうと、本当の意味での民意を得ていると言えるような手法からほど遠くなってしまう。是々非々での行動が生まれないからだ。イメージとしては、自民、民主、公明、共産、維新という選択肢が、公明、真如、真光、アレフ、ヤマギシしかないみたいな状況になりかねないからだ。EU諸国はでもまさしくそうした文化の対立に迷入しそうな勢いだ。
高齢化の進む、おひとり様の進む地方や都市における人口構造はとくにこれから物言う団塊世代が絡んでくることもあって非常に厳しい状況がうまれつつある。世代間での価値観の乖離があまりに大きい。
つまり、マスとしてボリューミーな団塊世代の独自の見解が民意として前面に出てきているように思ったのが冒頭にあげたニュースだ。
保育所はイヤ!
うるさいのはイヤ!
子どもは嫌い!
そうした大人が増えてきているのにはいろんな理由があると思う。単純に団塊世代だけの話じゃないだろうと思う。だけども彼らの持つマスエフェクトはとても大きい。競争が当然の世界観で最後まで走り抜いた世代だけに前後の世代とは随分価値観が違う。できることなら少しずつばかり足摺りして周りを見回してバランス良い意見を出して欲しいのだが。
なにはともあれ、必要なモノは必要なわけで、どこかに作らにゃならない。
落としどころが議論される前にどちらが勝ちでどちらが負けかを決めるみたいな好き嫌いの議論がクローズアップされる。
そんだ時代にどうも息がつまりそうだ。
💦💦💦
勝ち続ける哲学とは。
外科医はこの本で学ぶべきかもしれない。
もひとつ、序論読むといじめの構造がよくわかる。
メシ、くそ、風呂は早いが一番。
新年早々のっけから変な話題で申し訳ない。
大晦日のニュースに仲のよい老夫婦が浴槽内で熱中症になりそのまま溺死してしまったというのがあった。
最近になって浴槽内での死亡事故がクローズアップされるようになった。
家庭内での事故死中でその割合が高まっているからに他ならない。
高齢化が進むと同時に高齢者の浴槽死も目立つようになり、そうしたことへの関心の高まりからそうした事件に耳目が集まるようだ。
浴槽死に対しての警鐘ともいうべきブログはいたるところで見ることができる。
このほかにもたくさんのサイトがあり、いろいろ参考になることが記載されています。
これらをぼくなりに整理してみると、
- 脱水気味あるいは熱中症の人の湯船に浸かるのは勧められない。
- ゆったりなが湯てリラックスは血管拡張による脳虚血を引き起こすからあまり関心しない。
という2つに集約されるように思います。
つまり、
風呂に入ることそのものが発汗を促し、脱水を助長してしまう。
そうした状況は失神のリスクを高めるから入浴は危険というのがまず一番。
そして二番目は
リラックスして血管が拡張すると脳血流が減り意識を失いやすくなる
ということのようなのです。
脱水と血管拡張というふたつの脳血流を下げてしまう問題が同時に生じるのは確かに大問題です。
そのまま意識を失えばスルッと頭と足の関係が逆転するように滑ってしまうでしょう。そうなると今の日本の浅くて長めの浴槽だとすっぽり上半身がはまり込んでしまうかもしれません。
さてぼく自身も酔っ払ってズボッと滑るように浸かってしまった経験は確かにあります。だけどいまも無事に生きてることを考えるとリラックスしてぼーっとしてという理由だけでみながみな風呂で溺れ死んでいるわけでもなさそうです。ほかにも原因はありそうです。そうしたことは英米ではどうなんだろうとヨーロッパやアジア諸国の先生方にお話しすると「日本人だけだよ浸かるのは。シャワーだけにすればいいじゃん。」とともに問題解決を議論しようという雰囲気にもなりません。
ところが最近になり浴槽死は医学的にも注目されるようになってきました。これはカナダのてんかんの専門医の先生から聞いた話なのですが、これまで浴槽死は溺死だという思いこみがあり、気管や肺に水が入っているかどうかきちんと調べてなかったのがこの数年きちんと調べるようになり、溺死以外の浴槽死もかなりの割合であるということがわかってきたというのです。入浴中に脳血流が下がり、それに応じて脈拍が変化したタイミングで脈の乱れをトリガーにてんかん発作が生じてしまいそのひきつけで亡くなっている人とか血管がひらいて血栓がはがれそれが脳につまって意識を失っているひととかがいるらしいのです。
てんかんや脳梗塞で浴槽死した場合は死亡の原因が溺死ではないこと、彼らのためには入浴でのリラックスは避けるべきと指導するようになっているそうなのです。
そんな風に考えているうちにむかしはせっかちの極みと忌み嫌っていた江戸っこの銭湯スタイルが非常に合理的に思えてきました。
- 43〜45度の熱い湯に我慢するように肩までしかし短時間だけ浸かる。
- 脱衣場では冷たい水で絞ったタオルを振り回すように背中や股間をパッチン、パッチンとたたく。
- なが湯はしない。
- でたらすぐに冷たいフルーツ牛乳かオロナミンCを腰に手を置いて一気飲み。
実に合理的な所作にあふれています。
熱い湯ならカラダは温まるけど熱さの刺激で交感神経優位でリラックスどころじゃありませんし、湯船からでてほてりが冷める前にビシッバシッと皮膚刺激をやればてんかん予防になる経皮的皮膚刺激につながります。
さらには冷たいフルーツ牛乳で水分補給をリセット。
メシ、くそ、風呂は早いが一番とは江戸っ子はずいぶん昔から風呂場じゃくたばらないノウハウを経験値から身につけていたんだなと感心してしまいました。
トイレは長居しない人だと周囲に知られていればトイレで倒れたときの助けも早いにちがいありません。早ぐいするとすぐに満腹になるのでゆっくり食べるよりも食べ過ぎが予防できます。
江戸時代の日本(江戸)は当時その周辺国と比べると非常に長寿であったことはよく知られたはなしですが、かれらの粋のなかにはピンピンころりのコツが隠されていたのではないかとその合理性に感心してしまいました。
コレステロールが悪い、トランス脂肪酸が悪いと目の敵にしていたのが、いまでは糖質制限食にできれば脂質は自由ですよと手のひら返したように無責任な指導をしているのがエビデンスの大好きな医者や栄養士の行いですが、熱い湯は体に悪いと39度のお風呂とダイエット効果を目論んでの半身浴をキャンペーンし始めたら浴槽死が増えてきた。
医学における破壊的イノベーションはここのところ伝統的な生活習慣やライフスタイルの前に見事に完敗し続けているようで、自分の方向性も改めねばと新年早々考え込んでしまいました。
それでは今年も本ブログよろしくお願いします。
ヒアリングリテラシー その2
ぼくの常識は世間の非常識。
ぼくはいつも人に会うと「あなたはどんな耳栓もってますか?」「どのメーカーのノイズキャンセルイヤホン(ヘッドホン)持ってますか?」と尋ねることが多い。
職業性騒音難聴、ヘッドホン難聴、スポーツでも剣道の面打ちや陸上のスターター音は難聴の原因だし、渋谷のハチ公前の交差点の騒音や野球場での歓声あるいはロックコンサートでも難聴になってしまうことは当たり前だと思っていたし、そうしたことに、スキンケアやドライアイケアそして耳ケアとみなさん余念がないはずだとずっと思っていました。
2007年頃だとアンチエイジングやサプリメントにこだわる人たちは普通にそうしたことを知っていたように思います。そんな健康リテラシーの高い人に向けてのメッセージが、耳の不調が・・・・でした。
ここでは騒音性難聴の話はすっぽり抜け落ちています。それは健康への意識の高い5から60歳のサラリーマン対象に書いたからです。
10年近くが経ち耳への関心が高まってきてわかったことは、10年前の高齢者が後期高齢者になり彼らは相変わらず高い健康意識ですが、ここにきて新規の高齢者はまったく耳ケアもできていないし健康への意識もグンと低いことがわかりました。団塊世代にはどうも違うアプローチが必要だと。
だから最近はいつも決まって耳栓の話題をするようになったのです。
常時装用という観点からは、
これをお勧めします。
赤と白のところに携帯音声用の細径穴が開いていてそこで音声が聞こえるようになっています。耳栓部分はコンプライのTx なので痛くならないということさらいは携帯用のチップを常にオープンにしておけばおよそ15dbくらいと非常に快適に常時装用できるからです。新幹線など95db超える時はやはり20db以上の遮蔽が欲しいですがこのタイプならチップを閉じれば28db謝恩で十分です。
以前は2段あるいは三段の傘がついがタイプを使っていましたが長時間だとやはり耳の違和感がどうしようもなくこちらが今のぼくに耳ケア用耳栓となっています。
普段はチップ外して低遮音、騒々しい時はチップを閉じて高遮蔽。
行楽で長い時間の運転が増える時期ですが、運転通も低遮音モードでの運転が耳を疲れさせないストレスもない状態ずくりにはとても大切だと思います。
このタイプの耳栓部分のコンプライはどの番手が交換になるのかはまだわかっていませんがそのうち判明したらここにアップしたいと思います。初回購入時は交換用も付いているので1.5ヶ月使用でもトータル3ヶ月はいけますね。あとはその他の部品の耐久性で丸ごと買いかえるかどうかを判断ということになるかと思います。
ちなみにコンプライは三セット入りで3000円弱しますから、耳栓が2300円くらいで買えるなら耳栓そのものの買い替えが一番合理的だと思います。
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では今年もいよいよ最後となりましたが来年もよろしく。
イベントのあとに落ち着きのなくなる子どもたち
【今回は専門家向け記事です。】
運動会や学園祭が終わった後もそわそわしている子どもたち。
両親や先生は、そんな子どもたちをしかり飛ばすことはあっても心配そうにみてあげることはありません。
かくれ難聴
120デシベルの音にほんの数十秒さらされただけで生じてしまうきこえの障害、かくれ難聴が子どもたちのそうした落ち着きのなさの原因かもしれません。
かくれ難聴とは、
- 120デシベルの音に1日総量で28秒以上暴露された。
- 暴露後に、静寂などの耳の安静がなされなかった。
- 脱水とかアルコール過飲を伴った。
- 睡眠不足あるいはやかましい明るいなど睡眠環境の悪さ。
- 補足 殴られる、頭をぶつけるなども120デシベルの音響外傷と同じ意味を持つことがしばしばあります。
セルフチェックとしては
- 音暴露後の数日、耳鳴を自覚している。
- 耳鳴は数日で気にならなくなった。
- 周りが騒がしいと聞き取りにくい。
- 純音聴力検査は正常。
かくれ難聴とは、強大な音響により有毛細胞がダメージを受けた状態のうち、外有毛細胞は自己修復したけど内有毛細胞と聴神経の軸索との接続部分のシナプス接合に問題が生じている状態であると米国の研究者は定義している。
米国で基礎研究した韓国の耳鼻科医はこうした病態であってもサウンドコンディショニングすれば改善しうると韓国に帰国するや治療器械の開発製造メーカーを立ち上げている。
さて、そうしたまったく新しい疾患概念であるシナプス障害による難聴、ここでは 純音聴力検査で見つからないという意味で かくれ難聴と呼ぶことにするが、それの病院で見つけるためのアプローチや治療や対策をかんがえてみたい。
まず必要な検査
- 標準純音聴力検査
- 自記オージオ
- チンパノメトリー
- あぶみ骨筋反射
- デケイ
- 耳音響放射検査
- 聴性脳幹反応検査
などの一般的な検査で鑑別検査が必要になる。
かくれ難聴を疑わせる所見
などであり、その他の検査はほぼ所見なしとなることがほとんど。
こうした結果を踏まえて、
確定診断のための検査
- TEN(HL)テスト
- TEN ABR検査
- Speech in Noise
この3つが必要となる。
リオンのAA-H1とか日本光電のニューロパックなどがあればカスタムプログラム決定によって検査が可能となる。
検査の詳細については次回以降で検査ごとに解説していく予定であるので乞うご期待。
かくれ難聴という概念の登場によって、ADHDやAPDとかされていた病気の中に、一部あるいはそれ以上のサイズでかくれ難聴が含まれている可能性があるのではないかと考えています。
恐怖や不安はよく聞こえないことでも生じます。毎日折檻と言う名でげんこつで頭をポカリとやられているだけでも子どもはかくれ難聴になるリスクがあるのではないでしょうか。
続く
ヒアリング・リテラシーという概念の重要性について
3ヶ月ほどまえに騒音性難聴を専門とする先生方の集まりに参加して、一般演題での報告を行ってきたときのはなし。
その時は、
- 難聴は多因子で発生する。
- 職場の管理だけでなく、個の管理も必要である。
- 生活の中での騒音対策とか食習慣や運動習慣なども重要である。
- 包括介入なしに難聴問題を解決することはできない。
というような要旨でお話を差し上げてきました。
それに対して会場の参加者の多く(産業医)の皆さんは、
「家でのことは関係ないでしょ(`へ´)」
というニュアンスでした。
今回立て続けにブログをあげたわけですが、改めて、ヒアリング・リテラシーという概念の重要性について痛感してしまったところです。
「耳の不調が(こどもたちの)脳もダメにする!」
「しのびよるかくれ難聴! あなたのその生活大丈夫ですか?」
みたいな感じでまた本をかきたくなってきました。