こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

節分のこと

恵方巻

なんだか知らないうちに恵方巻きを食べることは当たり前な習慣になってきた。

バレンタインデーに始まりホワイトデイ。そして続いて出てきたのが恵方巻だ。いずれもマーケティングの専門家が知恵を絞ってあみ出したすばらしいビジネスモデル。

最近ではこうした仕掛け人がさらなるイベントという位置づけでハローウィンもビジネスモデル化してきている。

貝原益軒のアイディアで生まれた土用のウナギ同様のはなしで、こうした習慣とか慣習と思われているものの多くはビジネスパーソンのアイディアにわれわれ消費者がみごとにしてやられているにすぎない。

で、今回もまた2月3日が近づくにつれ恵方巻きが話題になりはじめてきた。

若い人たちと話すとまるで恵方巻きを食べるという習わしは何百年前からもあったかのようだ。

「先生のご実家だと恵方巻きにはなにを巻くんですか?じゃこ天とかちりめんじゃことかですか?」

なんて質問してくるのもいる。

「ふざけるなそんな習慣は宇和島にはない!」

なんて怒鳴ることもなく、

「ふんふん」

とそんな彼らの質問を受け流している。

 

十字路と魔界

今朝のNHKラジオでは、なにか聞きなじみのあるトーンのおばさんが登場していた。

残念ながら宇和島じゃなくて宮島のかただったのだけど、

彼女の節分の習わしの話には耳をうばわれた。

  1. カエシ(カイシ・ちり紙)に節分豆を年の数ほどそして気持ちばかりのお金といっしょに包む。
  2. そのつつみをたずさえ、夜中に十字路まで出かける。
  3. 交差点に、背を向け、後ろに放り投げるようにそのお包みを投げる。
  4. けして、ふりかえらずいちもくさんで家までかえる。

というそれだけの話だが、

ぼくはあっという間に50年前の小学生の頃にタイムスリップしてしまった。

 

交差点は魔界との結界

子どもの頃の自分は交差点でそれを放り投げる儀式のために、節分の夜は決まって年の数ほどの豆と賽銭(さいせん)を丁寧にカエシにつつむことをを毎年かかさず行なっていた。決死隊さながらに神妙な気持ちでそれをしていた。

四国は、えんま様信仰もさかんだ(善通寺には戒壇巡りもあるくらいだ)。

そうした習わいはどこの家庭でもあたりまえのように行われていたと憶えている。ぼくの価値感のなかではえほう巻きよりもこれのほうがよぼど大事な記憶だ。

節分は、えんま様のお正月

正月に神社にお詣りに行くように、節分の夜は魔界への入り口がある交差点にいく。

そしてて神社に神社の作法があるように、えんま様の使者である鬼に、ぼくらは豆と賽銭を奉じる。そう、ぼくは「ウソついていません。悪いことしてません。だから鬼さんそのことをえんま様にも伝えてくださいね。」と地獄に行かないですむさんだんを念じていた。

翌朝、小学校への登校のすがらその交差点を横目に見ても、昨夜投げたあのつつみはないし、豆クズもお金も散らばっていなかった。

だからぼくは本気で、交差点は魔界とのさかいで、賽銭と豆を鬼が取りにやってきていると信じていた。

あの頃は、夜になるとほんとうに闇のようになり、交差点は月明かりくらいしかなかった。「シーン」とよるの静けさだけが聞こえてくる。今のような該当の明るさからは想像できないくらいに新月の夜などは漆黒の夜だった。

「さても魔界の鬼いでてぇ、豆と賽銭をしっかと持っていたとなぁ」

と朝から震え上がっていた。

いつしか忘れていただいじな習慣

東京に来てからはサッパリそんなこともしなくなってしまった。

なんどかそんなふうに豆を交差点に放り投げたことはある。だけど翌朝にはゴミの残骸にしかなっていなかった。おまけに交差点にはぼくの放ったのがあるだけだ。

東京にそんなことをしている人はほかにいらっしゃらない。

道路にはさみしくというか個汚く、ぼくの投げた豆と小銭が散らばっていた。

節分の翌朝は、自分のまいた豆とお金を自分で片付ける。何度かそれをくり返すうちにこの大事な慣習を封印してしまっていた。そのことをラジオの中の宮島のおばちゃんが教えてくれた。

 

こどもたちは大きくなり、それぞれに忙しくなった。

皆が揃うこともない。

自宅でのまめまきもそぞろ勢いがなくなった。

ましてや年の数ほど豆をたべるのは、もうなんとか避けたいそんな年になってしまった。

このままでは普通に節分を過ごすこともなくなるのではと思うようにもなってしまっている。

鬼も住めない大都会

もう鬼もおちおち出て来れないくらいに都会は恐ろしいところになった。ぼくの住まうこの東京は鬼さえも近づけないおそろしいところなんだとそんなことを思っていた。そのことさえすっかり忘れていたことを今朝のラジオで想い出さされた。

ラジオの中のおばさんの声

ラジオの中で宮島に住まうというおばさんは、そんな作法についてくわしく話をくわしくしてくれた。

月曜日の朝はきまって、NHKラジオを5時から聞いている。どちらかというと番組を聞いているのではなく、番組と番組の切り替わりの時のエンディングに流れる音楽とか、どこかいなかのかたの地元自慢とか有名な先生の健康に関するお話とか、内容じゃなくてその音声とか会話のリズムかを時計がわりに、朝の身支度を進めている。

ところが今朝のラジオの中のおばさんの声はどこか懐かしいリズムを持っていた。自分の中の年長のかたのイメージにぴったりあてはまる。標準語でお話しされてるのだけど、そこにはそう郷里のニュアンスのリズムがあったので聴き入ってしまった。そんなこともあって今朝の身支度はてが止まってしまい少しいつもより手際が悪くで遅れそうになってしまった(~_~;)

 

豆はどこに行った?

幼いころに毎年行なっていた年の数ほどの節分豆と賽銭を交差点に投げるあの豆とお金はどこに消えたのだろうか。

(きっと四国にはまだ鬼がいるんだ。宇和島には鬼ヶ城もあるし・・。)

いまでも節分の時期にはきっとえんま様の使いの鬼が宇和島にはやってきてきてるに違いない。

なにより鬼も怖がる都会にはそんなに長居するもんじゃないなと、すこしながくなりすぎた都会生活を反省した。

 

さて今年は、どんな節分(恵方巻き)になるんだろう。