満杯でこれ以上かけない。
グレードアップしないとこれ以上かけないみたい。、
いよいよ10月開講。
#補聴器ハンドブック勉強会2018 は、平成30年10月開講、月1〜2回のペースで、金曜夜開催。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月8日
翌年7月末まで開催の予定です。
会告は、時宝光学新聞その他からとなります。申し込みについては、各回FBイベントからご案内する予定です。
新横浜駅前の会議室での開催でキャパの関係から各回定員30名となります。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月8日
会の名前が二転三転していますが、#補聴器ハンドブック勉強会2018 で確定しました。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月8日
2nd editionをテキストにしながら現場につながる話をして行く予定です。各回ごとのテーマに合わせ、あらかじめ参加者からの質問に対してどのような対策があるのかなどより実践的なレクチャーを計画しています。
参加の条件として、各自、補聴器ハンドブック第2版を持ってくること。可能な方はフィッティングソフトウエア搭載のパソコン持参をお願いします。こちらで準備できるノートパソコンの台数には限りがあるのでそのようにお願いさせていただきます。#補聴器ハンドブック勉強会2018 #時宝光学新聞
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月8日
難聴、認知症、新オレンジプラン
2010年のオレンジプランは、介護者の視点からの認知症対策だったけど、2025年の想定認知症者数が2012年の段階で修正しなければならなくなり、2015年に新オレンジプランが出された。当事者と家族の視点への大幅な方向転換で、それ故に難聴対策が追加された。#難聴 #認知症 #新オレンジプラン
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
2017年1月の難聴と認知症とうつに関する国際シンポジウムは #新オレンジプラン の「自立」という方向性から打ち出されたものであったが、2017年7月のランセット委員会の報告でいっきにミスリードされるようになってしまった。#難聴 #認知症
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
ランセット委員会の報告は45〜65歳の高血圧、糖尿病、難聴が、後々の認知症リスクを高めるというも。相関関係を指摘したもので因果関係は不明。にもかかわらず、リテラシーの不足から補聴器が認知症予防になるというミスリードが生まれているのがここ最近。#難聴 #認知症 #新オレンジプラン
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
#難聴 と #認知症 の間に相関関係がある理由として、3つの説がある。ひとつめは動脈硬化説、共同原因説という言い方もされる。血管の病によってたまたま両方とも同じ時期に悪くなるという説。 #新オレンジプラン
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
#難聴 と #認知症 に相関があるとするふたつめは誤認説。難聴があると認知症でなくても認知の面でハンディあるわけで周りに勘違いされるよという説。実勢問題として認知症のテストのうち20%くらいが音声指示によるので聞こえないとMMSEJで最悪7点は損してしまう。#新オレンジプラン
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
#難聴 #認知症 に関する3番め最後の説がワーキングメモリ負荷説。ここではまずワーキングメモリについて解説していく。ワーキングメモリとはパソコンでいうところのRAMメモリ。大脳皮質がハードディスク。 #新オレンジプラン
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
#難聴 があるとよく聞き取れなくてなんだろうと聞き返したり考えたりが多くなる。結果、メモリ容量が小さくなり大脳皮質への書き込みがフラグメントしやすく難聴だと年月経て #認知症 になりやすくなるという説。 #新オレンジプラン
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
ワーキングメモリ負荷説。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
つまり #難聴 になると補聴器にお金かかるし、ないままだと自立も困るし、まず予防しようね。という話になって、 #新オレンジプラン は #認知症 はまず難聴予防対策となって、WHO からShelly呼んで、Make ListeingnSafe の話聞いたのが2017年1月のシンポジウムだったってことになる。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
#難聴 #認知症 #新オレンジプラン この3つのキーワードの中にはどこにも 補聴器で予防できるという話はない。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年7月1日
補聴器があると認知症検査のスコアが上がることは研究で確認されているけど、それは誤認でしかないし、密度の高いケアではそうしたエラーは生じない。
新幹線の作法
私立医大卒はふつうにG車選ぶけど、国公立はみな自由席。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年6月24日
なんで私立はそうかというと、学生時代に教員からそういう指導されているから。
さてぼくはそれを踏襲すべきか苦慮している。
例えば普通車内で患者さんとか先方がメディアで見たことあるとかなときは横の席の人どかしてでも座り込んで来て話しかけてくるひともいるけど、G車だと会釈だけで終わる。お互いに距離感がある。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年6月24日
金曜日の単身赴任帰宅新幹線なんかも、自由席は居酒屋状態でツマミをお互いシェアしたりするムードあるけど、G車はオーセンティックバーのカウンターな雰囲気。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年6月24日
席料という考え方は、とる側だけでなくとられる側にもメリットのある仕組み。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年6月24日
最近、顔認証していただけない場面が増えたのは、劣化したからなのかな😰
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年6月24日
日本の補聴器を担う巨星がひとり去った(;.;)
旧キコエ補聴器の創設者 朝山さんが亡くなった知らせを受け取った。新発田で補聴器販売から起業し、補聴器メーカ マチキエにまで育て上げた。彼の生き様はまさに日本のビル・オースチン。おおいに期待していた。道半ばの急逝、冥福を祈ります。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年5月9日
1年ほど前、朝山さんから電話が入り、急遽、東京駅周辺のラウンジで落ちあうことになった。娘婿ふたりを連れてやってきて、彼らを頼むと。その時、覚悟は決めていたんだと今更ながらおもう。これほどガチでいろいろ「本当に聞こえる、役に立つ補聴器とは何か」をなんども討論できたのは彼だけだった。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年5月10日
リオンの販売店から始まり、海外のサードパーティーブランドの販売、そしてメーカーから部品調達しての組み立て、補聴器がデジタルソフトウエア商品化した時期から独自路線となり、国内2番目の補聴器メーカーに育てた。一代でことをなすは、みなそうだけどとにかく敵も多い大変だったろう。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年5月10日
売るだけの人と創る(製造)人はどこか根本的にその人間性が違うと思う。ビルオースチンにあったときにもそれを感じたけど同じように朝山さんからもそれを感じた。すごい人だった。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年5月10日
40年前、補聴器市場はシバントス(旧シーメンス)、オチコン、スターキー、ワイデックス、バーナフォン、フォナック、GN(旧リサウンド)といった外国勢(多勢)に対して、孤軍奮闘 日本は、リオンしかなかった。リオン補聴器は、旧陸軍→理化学研究所→小林理研→リオンと国の研究部門から分派した開発型企業で、1985年には世界初のデジタル補聴器を開発するほどであった。バブル期前に株価2000円を超え、飛ぶ鳥を落とす勢い、アメリカへの展開もした。しかし、アメリカ事業で失敗、その後は金融系の社長を迎え、石橋を叩いて壊すような慎重な企業になってしまい、1990年代後半には株価は3ケタまで下げてしまった(この5年、軟骨伝導補聴器の開発・販売や高齢者増に助けられ株価は戻ってきている。)。
1970年代、医師と補聴器販売店の関係はグレーでクライアント不在の補聴器販売がまかり通っていた。医師は装用候補者を紹介すると販売店からインセンティブを得る。そんな不条理がまかり通っていた。医師もみな白い巨塔よろしく大学教授の支配下にある時代で、補聴器販売価格の15%を大学病院にキックバックする仕組みは全国各所で展開されていた。
大学病院15%、関連病院10%、開業医5〜8%という暗黙のキックバック。15%の差分は自分がせわになっている教授にバックされる仕組みを錬金術に長けた一部の教授が行っていた。もちろんそんなあやしい仕組みはイヤとまっとうな補聴器外来をする教室もあったし、補聴器はあやしいとその担当医師なんかには絶対ならないとふらちな教授に従わないまじめな医師もたくさんいた。
よからぬ医師は「あなたは皮膚アレルギーがあるから、補聴器シェルは金コーティングが必要だ」と金コーティングで300万円を超える補聴器を患者にかわせるそんなめちゃくちゃも目撃したことがある(バブル景気時代ゆえに患者の要望も少なからずあっての金無垢補聴器だったようにも思う)。
1970年代後半デジタル補聴器の開発黎明期に、そんな業界の不見識に嫌気がさして理想の補聴器メーカの設立を夢に朝山さんはリオンを飛び出した。そしてキコエ補聴器販売をスタートさせた。その独特なスタイルは当時賛否両論であった(註2)が、今となっては、そこに彼の先見の明があったと言わざるを得ない。まず社員教育に力を入れる会社だった。礼に始まり礼に終わる。われわれがこれまでみたこともないような礼儀正しい販売員のすがたにまずぼくらはたじろいだ。そしてキックバックの廃止とその分以上の低価格路線。今で言うZoffやJINs路線の走りだろう。
補聴器という装置は、まだまだ発展登場の医療器械である。めがねのような最終形にまでたどり着けていない。メガネがファッション性で競争するのに対して、補聴器はいまだテクノロジーベースで勝負がつく。技術的な課題から、いまだ完全とは言えない商品をお客様にお届けするしかない。そこを理解もせずに新型がでるたびに「すごいすごい」と高いものをうりつけるのはいかがなものか。そこに朝山さんの販売スタイルの原点があったように思う。
朝山さんとは都合3回 膝つき合わせて議論をした。新宿西口に本社があった時期に本社ビルで2回、そして1年前に東京駅界隈のラウンジでの都合3回である。お会いするときまってお人払いし、ふたりだけで議論した。話題になるのは、安くてよく聞こえる補聴器のこと。高くてやや聞こえる補聴器と安くてそれよりすこしだけおとるけど充分きこえる補聴器のどちらが良いかと言えば、費用対効果で選ぶべきだというのがかれの口癖だった。
スペック主義に陥っていたテクノロジー信者のボクは、その都度、最速チップと最新アルゴリズムを備えた補聴器を自身で創るべきだと、かれに進言した。この技術なら自らメーカーと称してもだれ(リオン)も文句言わないはずだよと口をすっぱくくりかえし伝えたが、かれは、消耗品(耐久消費財)としての補聴器、水道哲学に沿う補聴器価格という意見を頑固に守っていた。
15年ほど前からレディメイド補聴器に独自のデザインのシェルを用意するようになり、見てくれは間違いなく補聴器オリジナルメーカーの体裁を整え、10年前にはGNに独自の仕様のチップを特注するようになり、この5年、紛れもない補聴器メーカーの本道を歩むようになっている。
1年ほど前、朝山さんから突然電話が入ってきた。体調を崩したらしく、娘婿ふたりでの2輪体制に切りかえるべくこれから組織を変えるのでよろしくという挨拶をいただいた。以前のような殺気こそ感じなかったが、補聴器の製造と販売を通じて、聞こえの困りを抱える人を応援する事業を展開する そんな思いを久しぶりに朝山さんの口から聞くことができ、彼が会長に退き、娘婿が社長の新体制となることにみじんも不安を感じることもなく、そのときもいつものように新タイプの補聴器はどうあるべきかについてかれと議論し、彼の言うまもなく熟すその実がいつ棚に並べられるのかそればかりがきになった。
あのときが朝山さんとまみえる最後の席になってしまった。5月8日付けの平松社長からの朝山会長逝去の知らせ。その文面を読みながら走馬燈のようにあれこれと思い出してしまった。そして1年前に紹介された輝くまなざしをもったお二人がこれから故人の遺志を継いでの新制マチキエをどんなふうに発展させていくのか楽しみになってきた。
朝山会長の冥福をお祈りします。 合掌 201805010
註1:ビル・オースチン
註2:製薬メーカーから病院へ派遣されるMR(医薬情報担当者)の制度以前は、プロパーと呼ばれる広告宣伝担当の人達が対応し、接待攻撃で口座を獲得し売り上げをあげるのか普通な時代だった。40年前の補聴器の業界もそうした販売市場主義のなか、クライアント不在の高値取引が行われ、研究費という名目で医師にキャッシュバックしていた時代がある。製薬業界におけるプロパーからMRへの変化あるいはピカシンからジェネリックへの転換、そうしたビジネスモデルの時代変化にいち早く気がつき、適正価格と医師とのかかわり方を見なおした最初の企業がリオンを飛び出して起業した朝山さんの会社だったといえるだろう。
耳ひっぱりとあぶみ骨筋トレーニング
耳ひっぱりとあぶみ骨筋トレーニング
最近はどこかしこでそうしたトレーニングをみてくれた人がいるらしく診療の現場でもどうやればよいかという説明を求められたり、その医学的な意義をたづねられることもおおくなった。
ということで今日は、正しい耳ひっぱりと 効果的なあぶみ骨筋トレーニングの話題ではなしをすすめてみたい。
耳ひっぱり
どこをどの向きにひっぱるのがいいのか。
例えば、右手の人差し指と中指と親指をつかっておおきく頭を超えるようにして左側の耳をひっぱり上げるのが動きとしてはベストとなります。
どこをつまむかは、ひとこと、ひっぱってきもちよいところとなります。
呼吸のペースでゆったりと息を吐くときにひっぱるのが基本です。
ひっぱりに疲れたら、両手をそれぞれの耳を覆うようにそっとおいて後から前に向かってのの字を描くようにさすってみましょう。
痛気持ちいい刺激やなでつけるような皮膚刺激によって、脳内麻薬エフェドリンが産生され、副交感神経優位となりストレスから解放されることでしょう。
1日2〜3回くらい 1回は3〜5分もやれば充分です。
あぶみ骨トレーニング
耳せんウォーキングとして書籍で紹介それ以降はいろんなスタイルのあぶみ骨筋トレーニングを紹介させていただいています。
- 耳せんウォーキング
- 指耳せんしながらアゴを動かす体操
- 指耳せんで耳内を押したり離したりする体操
などなどです。
もともとあぶみ骨筋は歩行の響きをキャンセルしたり、嚥下時に響かないようにする働きをするためにはたらいている筋肉です。鼓膜張筋とか、耳管開放筋とか口蓋帆挙筋といった筋肉も関わっていますがいちばんの抑制コントローラーはあぶみ骨筋なのです。
このあぶみ骨筋はご機嫌なときは耳を守り、不機嫌なときは耳を壊してしまいます。
つづく
目が見えないことはヒトとモノを切り離し、聴こえないことは人と人を切り離す。
「目が見えないことは人と物とを切り離す。しかし耳が聞こえないことは人と人とを切り離す。」
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年4月17日
岡本道也先生はよく仏の顔は3度までとおっしゃつていた。 https://t.co/SIain35PPL
目が見えないことはヒトとモノを切り離し、聴こえないことは人と人を切り離す。
30年ほど前、岡本道也先生という補聴器の大家がいらっしゃった。ボクは補聴器適合判定医という資格取得のために、所沢での1週間の缶詰合宿に参加してた、その時、講師のひとりとしていらしていたのが岡本先生だった。
1週間で学んだことはたくさんあったはずだがあまり覚えていない。憶えているのは岡本先生がおっしゃった「仏の顔も三度まで」ということばくらいだ。難聴者を取り巻く隣人や家族は、一所懸命に難聴の方をケアしていても、同じことが三回続くと堪忍袋のおが切れる。三回聞き返すと相手はうんざりになる。高齢のじいさんが不機嫌なのは周囲の皆が不機嫌でそこに身を置くだけだから難聴者も不機嫌なのだとおっしゃっていた。
そのときは4人部屋の合宿だった。おかげでボクはふたりの素晴らしい耳鼻科医を友人に持つことができた。ひとりは医師会の理事まで勤められた小森先生。そしてもうひとりは、潜水艦勤務しているのだという放射能晩発障害と思しき不調を訴える若い耳鼻科医だった。彼は潜水艦の任期が終わると、離島で数年過ごし、それで年期が開けて無罪放免自由の身になれると言っていた。毎晩のように所沢の駅前の赤提灯に繰り出しあびるほどのみあかした。蛇足ながら小森先生とはその後に騒音性難聴の担当医講習会でもご一緒した。
閑話休題。
見ることには二つのストリームがあることはこのブログでもなんどか取り上げている。
見るという行為は、シェイプと色からなんであるかを名称として捉え、重さと距離を類推する作業に集約される。雰囲気とか匂いとかよりもずっとずっと深くヒトとモノの関係を突き詰めるのがこの器官である。
いっぽうの聞くは、聞くと聴くでは大違いな情報処理をしている。
人と人をつなぐのはもちろん聴くのほうだ。聴くは同じようにその言葉からある種の名詞のようなものを導き出そうとする器官ではあるが、その時の参照は純粋に音の記憶との参照手続きとなる。記憶を手掛かりに聞いたことばから聴こえを生み出すのである。参照する情報には、単語の意味も当然必要であるがそれ以上に、音から縁上回や角回というニュアンスやムードを感じ取る部分がおおいに働くことで聴こえが生まれてくる。
参照をベースにするということは、関係性のリフレインを参照していると言って良いだろう。聴覚がコミュニケーションの要とはそうした意味からのことなのだろう。
冒頭に紹介したネット記事はもちろん企業のプロパガンダ的広告であるから注意して読み込む必要があるが、この記事では55歳から夫婦の危機が来るという話を書いているから読まないわけにもいかない。軽度難聴でも仏の顔も三度まで。
58歳の財務次官の話題で盛り上がっている今日ではあるけども、つまりは55過ぎた男は聞こえていない。静寂のなかでひとりさみしく過ごしていて、若者ことばを聞き取れず不用意な親父ギャグを連発していたのだろうと。カーソンマッカラーズの心は孤独な狩人に出て来る聾の主人公とたいして変わらない。
55歳とはもうすでに老境に達しているのだと思う。