3月11日ふむふむ記念講演のお知らせ
新潟での講演を控えて、なぜこんなにも勉強しなければならない時代になったか、リベラルアーツを低く見る風潮があったのかについて整理している。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
2914年にオックスフォード大が出した、10年後になくなる仕事。21年に米国労働局からでた有望な21の仕事。ここから未来の市場が見えてくる。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
子どもたちの競争相手は、お互いではなく、ITとかAIでひとが競い合う時代から共生の時代へとシフトしている。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
コールセンター業務や自動車の運転業務のような仕事は、そのほとんどがAIに取って代わる。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
実際はこの10年は機械学習に取って代わるだけ。AIの時代が来るのはそのあと。
おそらくはベーシックインカムな時代がその時にはできていて、0.003%の人が富を独占し、あとは.......
学習には、動物レベル、生活レベル、家庭レベル、学校レベル、高等教育レベル、研究者レベルがあって、大学まで進むと、そこそこの未来が約束されたのがこれまでのモデル。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
有望な21の仕事のトップは、看護師。その1/3が、専門看護師、専門医、外科医、理学療法士、医療マネージャーなどの医療職だ。ひとを扱う仕事はまだまだ人工知能は追いつけないというか、人と人のコミュニケーションまでもを手放す人はまだまどいないということ。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
なくなる仕事は、バスとかタクシーとか運転手さん。コミュニケーションが必須でない仕事は自動化されやすい。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
かつての博覧強記は天才くん秀才くんの称号だった。京大医学部脳versus東大医学部脳の対決なんてテレビ番組があったけど、なぜこそにGoogle Homeとかあててこなかったんだろう。知ってるよというのはもう価値がない時代なのに。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
脳のレベルとマズローの段階を対比すると、 pic.twitter.com/ysCy2egO6N
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
学んだだけではダメで、問題提起する力が必要になっているし(修士)、その問題を自分で解決する力(博士)も求められている。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
現場で学べばというひともいるけど、倫理や利益相反の問われる時代だから自学自習でそこまでルールを把握できるかというとちょっと微妙。
大学進学までの知識は、ぜんぶGoogleかWikiで手に入る。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
大脳にある新皮質の外にクラウド皮質を手に入れた、電脳皮質を持つのがdigital nativeな子どもたち。
デジタルネイティブな子どもたち世代の知能は、親の所得格差を受けやすい。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
持つものと持たざるのもの格差だし、UI は本来良いものだから、学校で触ることができればそれで事足りる。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
高学歴化する社会は、高齢化する社会と、就職するという点で利害が一致しているのがいまの時代。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
で新潟では、どの子も賢くするためにはどうすれば良いかと、問題提起してみようと考えている。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
3月3日は、耳の日。日本は、3をミとも読めることから耳の日と呼ぶけど、世界は耳の形に見えるから同じ日が耳の日。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年2月8日
WHOでもキャンペーンしてる。
PHP出版からの本も好評です(^-^)
聴かせるだけで子どもの「集中力」と「考える力」が同時に伸びるCDブック
- 作者: 植地雅哉,中川雅文
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新刊(監修)のお知らせ
第5回宮古島神経科学カンファレンスも無事終了。
毎年11月に宮古島に赴くということを5年も続けてしまいました。
宮古島神経科学カンファレンス。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月9日
関係者から3演題の発表あり、自分も座長と市民公開講座講師の役回り。 場所: ANA 東京(羽田)空港 - Tokyo(Haneda) Airporthttps://www.instagram.com/p/BbQeR-LD5tn/
長期予報では雨と言うことでしたが、いざついてみるとそこには南国の空が待っていてくれました。
宮古島空港とうちゃく。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月9日
快晴。 pic.twitter.com/GGrb3nT9YL
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月9日
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月10日
認知症患者の空間認識能について pic.twitter.com/fmaPMR9MEk
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月10日
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月10日
6歳までの子どもは、脳代謝が激しく、大人の3倍もブドウ糖が必要らしい。われわれの味覚はショ糖、果糖、ブドウ糖、人工甘味料を区別できないから、親は子どもにピュアなブドウ糖を与えるようにする必要がある。#第5回宮古島神経科学カンファレンス
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月10日
子どもの脳はブドウ糖がたくさん必要だ。足りないと正しく活動しないし、足りないことはシナプスの刈り込みを促進してしまう。子どもがお菓子を欲するのはとても正しい。#第5回宮古島神経科学カンファレンス
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月10日
#第5回宮古島神経科学カンファレンス pic.twitter.com/gQ3Dgyoa53
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月12日
宮古島は昨日は体感30度、今日も26度と夏だった。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月12日
で、いま東京に戻り14度と秋の寒さ。
レインコートとダウンベストの取り合わせはバルキーにならず大正解でした。 pic.twitter.com/FE4LepPoB7
#ひろちゃん の味がパワーアップ。宮古で食べるケチャップ味の宮古焼きそばは格別です。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月12日
#第5回宮古島神経科学カンファレンス
三歳の壁とか言われているシナプスの刈り込み現象は単に酸素とブドウ糖不足で起こっているのかなとふと思う。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月12日
#第5回宮古島神経科学カンファレンス
いろいろと耳鼻科医という枠の中では消して学ぶことのできな情報得ることができました。大学が専門学校になっていくのと同じように、専門医制度もおかしなことになってきています。学問というものの枠組みはけして強固な壁ではなくあいまいなものなのに偉くなってしまった老人は自分の過去のモデルの中に若い人たちを閉じ込めようとふるまってしまう。この国は本当に老害ばかりめにつくようになってしまったなと残念に感じるこの頃です。
かつての大学の役割は大学院に取って代わられ、専修校はたくみにその看板を大学にかけかえている。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月12日
定年の延長にあわせて、若者が社会に出てくるタイミングを遅らせる。そんなことしても停滞するだけだけど、既得権者はそう考えない。資格取得目的だけならそこはもうすでに大学じゃないし。 https://t.co/NGBgsMOGsc
#言語を考える
#言語を考える 映像を容易に記録できる時代になって、今、手話は、揮発性という弱点を克服した。書いて記録する書記に対して、動画で記録する動記言語。ここにどのような市民権を与えるかが、手話言語を(書けないことばは言語じゃないよというジャンルの)世間に認めてもらうための方便になろう。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える 言語を確固たるものにするためには独自の書記言語を持つ必要がある。聴覚音声日本語と同じ文字を使うかぎり、日本語を話す人たちはそれを独自とは認めないのかもしれない。日本語対応手話ならそれでいいかもしれないが、日本手話はそれじゃダメだろうと思う。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える 音声言語はその揮発性ゆえに情緒に訴える力に溢れ、書記言語はその滞留性ゆえに論理に訴える力に溢れている。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える 書記言語を持たないことばは、その滞留性のなさから、淘汰されていく。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える ぱ、だ、が、ふぁ の音は区別が難しい。子音と母音の間の時間がほぼほぼ同じだから区別し難い。そんな音をぼくらは目で口型をみて、区別し理解している。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える 母音と子音を周波数特性で分類するとその数は800にも及ぶ。だけど多くの言語の音韻はせいぜい40から80個。それら音韻の特性に冗長性が組み込まれている。日本語は50音とか言われるけど実は40くらいしかない。この冗長性が外国語学習の困難さの原因らしい。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える とき 音声が先か文字が先かという議論がある。だけど最初の最初は、手振り身振りじゃないかと思う。聴者が異国に放り込まれたら、それしか手段ないし。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える ときいつもチョムスキーが気になる。SVCな英語とSCVな日本語。聾児に教える言語聴覚士の先生は、お行儀ができないと文法が身につかないという。帰国子女の文法が微妙なのはさもありなんと。と考えると、言語が自然生成するなんていうふうに思えなくなる。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える とき面白いなと思うのは、中国からの留学生は「マンダリン、ペキニーズ、タイワニーズ、日本語そして少し英語できますだから五ヶ国語できます。」となるが、我が国の学生は「日本語だけです」という。東京弁と標準語と大阪弁と手話できるから4カ国とか絶対言わない。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える とき、普通話とか標準語という概念の中に多くの方言が落とし込まれる。そしてそこに落とし込みにくい言語に対しては排他的な対応を取ることになる。日本におけるアイヌ語やウチナンチュウ、中国におけるウイグル語やチベット語。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日
#言語を考える とき、書記言語との対応性の有無をひとつの目安とするそんな考え方が、日本語圏にはある。方言はすべてひとつの日本語というふうに。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2017年11月4日