こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

耳と脳 第3章への質問 その4

しかし、聴こえていても(相手の言っている意味が理解できたとしても)、創造力がなければ自分の考えを伝えられません。つまりコミュニケーションに障害があると判断されることもあるのではないかと思われます。ゆえに、創造力を鍛えることで、コミュニケーションをうまく取れる可能性が出てくるともいえるでしょう。
そのような見地で、中川先生の思われる”創造力”についてのお考えを伺いたかったわけです。また、聴こえを鍛えるのと同様に”創造力”も鍛えられるのでしょうか?」

ここで彼が言わんとする創造力ということばにどのような思いが込められているのかが見えてきたように思う。
彼は創造力がなければ、

  • 自分の考えを伝えられない。
  • 伝えられなければそれをコミュ障と相手は捉えるかもしれない。
と創造力のないヒトに育つことがひとつのハンディキャップであるかのように考え、そして、
  • 創造力はコミュ障を解決するためのツールである。
  • だからこそ想像力を鍛えなければならない。
とまとめ、さてその創造力は聴こえを鍛えることで磨かれうる能力なのでしょうかと問いかけてくれているように思いました。
 
脳科学的に言えば、ヒトの反応はすべからくレスポンスです。
入力に対して脳はその情報を処理して出力するだけです。
好き嫌いという軸と興味の有無という軸と生存に必要か不必要かという3軸。
その3つの軸でできるモーメントに従って、出力が決まるだけです。
好き嫌いの中には性欲や食欲といった生理的な欲求が含まれます。
興味の有無は、刺激頻度と刺激強度に依存した極めてシンプルな反応にすぎません。
だから数打つ広告を見ているうちに、あなたのうちなる欲求とシンクロしたタイミングで、他のものではなくその広告の品を思わず買ってしまいます。
自分の判断によって行動しているようでもヒトの行動の大半はそうした不可抗力的なレスポンスであることがほとんどです。「少なくともあの時なんであんな判断したのかな、あの時は絶対だと思ったのに」とまるでオレオレ詐欺にかかってしまったヒトのように不可思議なき有働を取ってしまう自分というのは、紛れもなく創造とか論考とかとは別世界のレスポンスする脳の反応にすぎません。
 

 

 

 

選択の科学

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なぜレスポンスするのか、なぜ選択してしまうのか?それはいくつかの成果書に目を通せばその理由がわかると思います。
ーーーーーー
聴覚コミュニケーションがもし創造力の源になるとしうるなら、
  1. 英語で考えること、英語で表現すること。
  2. 英語が苦手なら日本語でツイッターを書くこと。
  3. あるいはブログを書くこと。
に尽きるのではないかと思うのです。
  • 他言語で考える。
それも文法の異なる言語で考えることで思考の流れが変わり、新しい気づきをもたらすからです。
日本語でしか表現できない時それをどう表現するかを英語で考えることはよても生産的なひとりでできるディベートだと思うからです。
  • ツィッター
英語の苦手なヒトはまず日本語でツイッターで書くことを始めるのが良いでしょう。
はじめにイエスノーがでてこない日本語こそツイッター向きです。
決められた字数で自分の分をまとめる力、冗長になりがちな日本語を一定長でキリッと引き締める。
ツイッター文字数制限は、相手に伝える言葉の長さを安定化させるための良い訓練となりうるからです。
もちろんそんなツイッターで書くことは、生活の話ではなくて、学んだことに関するこむつかしいことをまとめたり議論しする材料として書くことが必要です。後で並べてみればなるほどしっかりとしたひとつの論文だなという仕上がりになるようになったらしめたものです。大阪市長の橋下さんのようなツイッターの使い方ができれば上等ですね。
  • ブログを書く
週1回必ず1200字でなにがしか書くとかまとめる力と第三者を意識した文体を覚えるということで極めてシンプルに創造をかきたたれると思います。最近のブログは簡単にアクセス数もわかるのでやりがいを持ってひとり論談をすることができると思います。ただしカルトな記事ではなかなかそうした才能を伸ばすのには直結しないように思います。やはり最初は自分の趣味や時事などを話題に無難に一回1テーマでまとめていくのが良いでしょう。
 
そうしたブログやツイッターといった読み書きにおける書くを素早く行う訓練は英語でお互いが会話するスピードの比べればあまりにのんびりかもしれませんが、ここ一番な時にじっくり考えながらしかし話し続けていくという能力を鍛える訓練になると思うからです。
書くという訓練はきっとコミュニケーションでの成功に繋がると思うのです。
 
そんな日々の積み重ねが大きいほどに、自分の脳のレスポンスは深淵なものになる。
 
だから最後の結論は、学べよ学生さん!になってしまいます。
 
教員は自分の楽しいところをさんざんに学生に見せつけ、学生に学問の面白さを気づかせればそれで良いのかなと。
大上段に何かを教えてやるとインプットしたとしてもそれが面白くなければそんな記憶はいずれ減衰・消失してしまうのがおちなんじゃないか。
えらい立派な教授のもとには、金太郎飴研究者か墓堀研究者かぺんぺん草しか生えてこないのはいつの世もおなじ。
 
終わり。
 
なんか答えになってないような答えたようなのダメダメコミュニケーションな回答になってしまいました💦