耳と脳 第3章への質問 (-_-;)
第3章のコミュニケーションのところで、コミュニケーションを図るためには、自分の考えていることを発信する言語的(あるいは非言語的)コミュニケーションが大事であると解説されております。ここで、「考え」を作り出すための力、いわゆる「創造力」もコミュニケーションには必要なのかと思います。ここで言う創造力は単なる思いつきでなく、自分の考えを生み出していく(捻出していく)といった、能動的、意識的な力のことです。 先生のお考えのコミュニケーションとの関係はどのようになりますでしょうか? もう一歩追及させていただくとしたら、このような創造力は訓練で身に付く、あるいは高めることができるものでしょうか? 聴くこと、傾聴力、学習力が訓練可能であるとすれば創造力も身に付くものと思っておりますが、いかがでしょうか?
読者の方からこんなお便りを頂いた(-_-;) 先方はどこかの教育機関で創造性教育というのに関わっている教員であるらしい。無視するわけにもいかずかといってメールでこうした話題をやりとりすればそれはもうエンドレスな迷宮にハマり込んでしまいかねない。
* 創造性・教育であって、創造・性教育ではありません。はてなの用語辞典は 自動的に点線引いてくれるけどかえってそれが言外の意味を持たせてしまっている(⌒-⌒; )
「我思う、ゆえに我あり。」
哲学は、思考は言語によって形成される所産である とずいぶん昔に答えを出している。実際、論文を書くときにに英語で書くか日本語で書くかによって同じ内容のものがずいぶん雰囲気を変えてしまうことは多くの教育者や研究者が指摘しているとおりだ。
事象の認知は、常に脳内のリファレンスとの比較参照をくり返す中で生み出される。だから見たままのものを見たままに解釈することはできない。視たものを観たようにあるいは診たようにしか解釈することはできない。
ボクは時々自分自身、迷宮にはまり込んで自己嫌悪し前に進めない。つまり筆が進まなくなるというか止まってしまうことがしばしばある。そうしたときは、懸案の仕事は全部ほっぽり出して、読書や映画にいそしむことに決め込んでいる。INPUTがなければOUTPUTはあり得ない。脳というハードディスクの中でちり屑のようなそれでいて捨てきれないで保存されているなんらカテゴリカーされていない雑駁な情報という名のゴミみたいなファイルに命を吹き込んでくれるのは、どうも全く関係ないような娯楽作品に触れるときにやたらスイッチが入るように感じているからだ。
話を戻せば、例えばロシア語がわからなければ、ロシアの地で自分の創造的コンテンツは発信できない。その意味で自己が獲得していく能動的INPUTはとても重要である。そしてそれと同じくらいに誰かと接することでその外因によって琴線がインスパイアされることはとても大事だとおもう。
留学にいくとか出向させられるとか他人の釜の飯を食うとか冷や飯を喰らわされることは、どちらも他流試合を経験することであって、その人の考え方を変えるひとつの大きなきっかけとなる。もちろん仕事や研究とは全く違う趣味や稽古事のつきあいではたとなにかを学ぶこともある。
そうした「インスパイア」は内なるひらめきのようでいて、充分すぎるほどに大きな外因の影響を受けていると言える。
教育という場面においては、子どもたちの脳領域はまだまだ書き込み領域が豊富であるし、よほどでないかぎりデフラグとか再インストールとかイニシエーションなんてものは必要ない。余っている脳の書き込み領域に系統立った考えができるように根幹となる例えば理系なら理系脳という形のツリーを仕上げていくのが教育なんだと思う。
仕上がってしまった25歳以上の脳はそうした子ども脳とは全く違う。すでにいくつかの出来損ないのツリーがインストールされた、つまり新しいソフトウエアのインストールの際に効率的に古いバージョンを削除しておくとかコンフリクトするソフトはごみ箱内アーカイブなりしておく必要があるのだけどそれがうまい具合にできていなくてときどき誤作動する状況になっている。もちろんそうした誤作動により脳内での科学反応がアイディアを生み出したりもするけど多くの場合はとんでもなく意味もない愚案というのがほとんどだ。ノーベル賞を受賞するような研究者はその根幹となるアイディアをおよそ35歳未満でみつけているというから、おそらくは35歳以上の脳はもはやツリーもディレクトリもいい加減なくせにハードワイヤードなニューロンネットワークになってしまったがらくたなんだろう。
PS
話しが脱線しまくりで結論のないままで申し訳ないけど日曜日の夕刻ゆえにそろそろ出かけなければならない。ということで今日はここまでで筆を置きます。なぜって彼が送ってきたあいまいなジャブみたいな質問だとどうしてここくらいまでしか話しを返すことができないし、きっともっと直球の質問を彼はちかぢか送ってくるに違いないからです。