こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

平等が生み出した差別

フランスにおける平等の思想の中に「公立学校に宗教を持ち込まない」という考え方がある。
それゆえにクリスチャンであっても十字架のイヤリングやペンダントは身につけないあるいは見えないところに密かに装うことを求めている。
 
イスラムの悲劇は、ヒジャブによって生まれた。
女性が黒髪を隠すようにスカーフでおおう装いのことである。
フランスは平等であり、自由である。
そのためにはある空間においては、自己のアイデンティティは封じ込まなければならない。
 
ヒジャブを拒絶されたとき、彼らは深い悲しみの淵に追い込まれた。
偶像崇拝を否定するイスラムの人たちの
そのヒジャブという装いがイスラムのアイコンとなったアイロニー
 
自由と平等と博愛。
 
言霊だけを受け止めればそれはそれはすばらしい理念である。
 
しかし、その実践には、個々人が痛みを伴うなにがしかの選択(取捨)を求められる。
 
かくして、イスラムの蛮行とそれにこうする活動としての「私はシャルリ」が生まれた。
 
自由も平等も権利もヒトの社会が作り上げたフィクションでしかないように思う。
 
自然界のなかの、野生のありように、ヒトの動物としての本能がある。
人であるために、ヒトは「道理」を描く。
自己のアイデンティティとしての論理を侵害されたとき、
反射的に反応してしまうのはしかし道理とはほど遠い「感情」である。
 
ヒトが人であるためには「道理」でとおさなければならない。 
 
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平等と自由は差別を生み出す。
「自由とはかってきままのことではない。自由とは道理のことである。(内田百閒)」
「日本という国は、このことばの訳を間違えてしまった。(内田百閒)」
 
自由は、結果の平等を補償しない。
自由には自由なりの求められる所作や流儀もある。
 
自由と平等はある種の原理主義のひとつではなかったかとひとり唖然としてしまう。