沈黙 サイレンス
明日の封切りを前にKindleで遠藤周作の原作に目を通している。
フェレイラ、キチジローの姿がまるで色彩のついたように湧き上がる。
ぼくはキリシタンではない。葬式では仏教を利用し、正月は神道を信奉する。そして天皇誕生日の翌日にクリスマスを祝う八百万派だ。
だから、遠藤周作の描写を読んでも実際のことを想像できるだけの知識はない。
なのに読み進むほどにその情景に色がついてくる。それもなんとなくシャガールのようなぼんやりとした色がついてくる。
ぼくはこれまで文字を読み進むことでこんなに色彩を感じたことはなかった。
例えばぼくが気がつけば比較的読んでいる村上春樹からは全く色を感じない。彼の作品はいつもモノクロかグレースケールだ。
沈黙を読み始めた時ぼくの頭の中に現れた色彩は、あることを思い出させた。そう三島由紀夫の作品はいつも金ピカな色にあふれていたことを。先日発掘された三島のインタビュー映像の中でも彼は自身のその表現について『豪華に盛り込みすぎている』というようなことを言っていたがたしかにそのむかしむさぼるように読み漁っていた時ぼくが求めていたのは三島の金ピカなことばだったと思い出した。
遠藤周作はキリスト教の匂いがする。それ故に避けてきた。いまはじめて読み始めた彼の文体には、司馬遼太郎にもない色彩があふれている。
読み進みながらぼくはその色彩の表現の秘密にいま魅了されている。
まだ映画館に行けていないのに・・・(T_T)
これねたばれちゃうの?