2007年聾学校を訪問して感じたこと。
コミュニケーション手段は、口話、手話、キュードスピーチ、補聴器、人工内耳などがある。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
健聴者は、音声と唇の動きと視線そして身振り手振りを情報にコミュニケーションしている。
健聴者であってもアイコンタクトやリップリーディングは無意識に使っている。難聴がないとリップリーディングはそれほど重要でないと言うのが日本語の特徴。若者にマスク文化が広まったのはそうした理由がある。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
難聴の程度によって、必要な情報の重みは異なってくる。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
軽度な難聴なら不足する音情報を補足するように口の動きを見るようになる。
口の動きで不足する部分は、表情というか目の動きから推測する。右上を見ながら考えているときは情意的な思考というか駆け引き的な思考しており、左上なら論理的に話してくれているとか。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
口型は音素の弁別に使われる。無声子音は、口型を見ないと判断できない。日本語はこれがないからマスクしても会話できる。だけど、難聴や聾のこどもたちはその口型から判断していることを聾教師がわかっていない。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
かつての難聴児教育の目標は、聴覚で聞き取れることその能力の獲得にエネルギーが注がれた。これは根本的な誤り。われわれの感覚受容はけして単モダリティではないから。マルチモダルインテグレーションを促さないコミュニケーション教育はあり得ない。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
健聴児と聾児を同じ教室にいさせるからインテグレーションだなんて脳天気に喜ぶ前に感覚統合をいかに効果的に発現させるかをもっと考えるべきだった。
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日本手話>>>日本度対応手話>>指文字≧キュードスピーチ。
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言語としての完成度から並べてみるとこうなる。
視線や口型は上記を補足するための必要条件。
ヘットフォンかインサートイヤホンか?
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聴力検査の場合、どちらを使うかでその遮音が大きく違う。
カナダとかはだからみなインサートイヤホンだけどなぜか日本はヘットフォン。そのため聴力検査室がしっかりと防音室であるかどうかでバイアスが生じやすい。 pic.twitter.com/wUx8XVONR2
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
ただでさえ2500-3500Hzはレシーバの特性から高音圧になりやすいのにわざわざ聴力検査においてその遮音性がフラットでないものをもちいて計測しているからたちが悪い。いずれにしても防音室がきちんとしていればOKなんだけど。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
そうした視点で学校における聴力検査の現場を見るとそこで何をしているのかなとおおいに疑問を持ってしまう。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
聴覚の求心路は、脳幹で体性感覚のそれを経路を伴走する場所がある。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
神経シグナルはより強いシグナルが優先される。
CIのシグナルは、本来の体性感覚シグナルをマスクするリスクがあるが、体性感覚を配慮したCI児のハビリは信州でしか行われていない。
キュードスピーチは、鹿児島弁とか津軽弁みたいなマニアックな言語だけどなぜかそれを重宝する先生は少なくないというかその先生がとってもロコだからそうなっているんだけどそのことに先生は気づいていない。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
以上 一連のスレッド終わり。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
追記:
新宿区大久保にある居酒屋ふさお。聾のマスター、聾の店員。日本手話派もいれば日本語対応手話派もいらっしゃる。そして手話でシュワ(泡)したくて遠くからもいろいろいらっしゃる。日本手話はその冗長性から最強かなとボクは感じている。 https://t.co/NAn5FuWYCU
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
宮古島の手話と台湾の手話には共通の部分が多く、宮古の聾者の中には日台の国際結婚カップルが少なくないのにおどろいたのは5年前。言語が「自然生成的」に生まれるのなら手話も同じ、書記言語をベースとした日本語対応手話はその点で手話に必須のある種のプロソディ的なものが決定的に不足している。
— 聴覚評論家 中川雅文 (@masafummi) 2018年8月30日
聾教師に圧倒的に不足しているのは、その表情と手ぶり身ぶりと感情の露出ではないかと感じている。