こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

喫煙者と嫌煙者の権利

#たばこ害死なくそう

#世界禁煙デー

www.mhlw.go.jp

喫煙者と嫌煙者はおたがいに自分に権利があると主張している。

諫早湾干拓派と開門派の議論同様の不可思議な論争に似てきた。

 嫌煙者の論点はもっぱら『二次喫煙もイヤだ!』という「感情論」に集約される。

喫煙者は、「納税義務も果たしている。権利の行使だ。」という。

そこに財務省の税収論と厚労省(WHO)の健康論があいまってわけわからなくなっている。

 

タバコの害は

長期間の喫煙習慣によって

  • 高血圧
  • 難聴
  • 糖尿病

などの疾病の進行がはやまる。

肺がんや喉頭がんなどは、喫煙との因果関係もはっきりしている。

さらには、

  • 妊婦の喫煙によって未熟児が生まれ、
  • 喫煙者に囲まれて育った児童はADHD の傾向が高まり、
  • 喫煙家庭の児は本来発揮できる学力レベルに到達することが難しくなる
  • 子どもの喘息の原因でもある

働く女性が増え、胎児や児童の動線がかわった。喫煙後数時間は呼気から発せられるともいわれるから、児の動線の変化は、2次喫煙リスクのための対象範囲の増加を意味しているといっても過言ではないだろう。

少子化とか児の学力向上を議論するなら、その前に社会全体が、分煙社会というものをもっと真剣に考えるべきだ。

とぼくは考えているし、嫌煙者もそのように思ているのだろう。

 

一方、喫煙派は

『こんなにも税金を払っている。これは応分の負担をして得ている権利だ』

と言わんばかりのけんまくだ。

非喫煙者嫌煙者の心配や不安には耳を傾けようとはしていない。

それどころか喫煙のリスクに関する統計データにさえもねつ造だといわんばかり。

 

嫌煙者と喫煙者が呼応するように感情的になり混沌としている。まるで豊洲移転問題における安全と安心の議論と同じだ。好き嫌い(安全か安心か)というおとしどころに持って行ってしまうと一見伯仲した議論にみえてじつは憎しみだけ残して答えをうみだささない。

 

ぼくはタバコは吸わない。

医師として9時5時のあいだはやたら厳しい禁煙指導もする。

だけども嫌煙者のような原理主義者でもない。

 

ぼくは、席が混んでいれば、別に禁煙席がそうでないかにかかわらず(若い女性や子どもがいっしょでない限り)はやく利用できる方を選択することがしばしばだ。ただし最近は、せっかく禁煙席を選んでも残念な思いをすることが増えてきた。完全な分煙ができていない店でのタバコ臭が以前よりきつくなった感がある。

ひとつには、タバコの楽しみ方の多様化があるのだと思う。ハマキやパイプのひとが増えてきているように思うし、実際、そんな濃い香りを感じることが増えている。喫煙者が減った一方でまだ吸っている方はかえってヘビースモーカーになったようにも思える。インバウンドの増加でルール無用に禁煙エリアでも容赦なく吸っている輩が目につくのも不満だ(外国人のルール無視の喫煙者によって国内の紳士的な喫煙者の評判も落ちていることに喫煙者は気がついていない)。もちろん出入りしている場所が違えばそんなぼくの見解にはさっぱり同意できないかもしれない。

 

国会議員の大西先生は、

『(ガン患者さんはタバコのことを気にするのなら、分煙のできてないような飲食で)働かなくてもよいのではないか』としごく当然のことをおっしゃっていたが、メデイアではまったく真逆のレスポンスだった。

雇用の関係において売り手市場な時代だ。だから彼の発言を利用して『雇用から分煙をすすめる』ことができるぞと大西先生に拍手したいと思ったくらいだ。だのにメデイアはまるで逆の反応(T . T)。

オリンピックへ向けての分煙運動もマスコミによってなにやら矮小なところに落とし込まれてしまった感がある。

 

喫煙者の生涯医療費は、非喫煙者の何十倍にも及ぶ。だから厚労省的にはタバコゼロは、高騰化する医療費の抑制という大義から見てもポジティブだし、元気で丈夫で賢い子どものいる社会にするためにとても良いことだと思う。

だけど財務省的には税収の減少はなんとしても避けたい。インとアウトから考えればきっと財務省のひとだってタバコゼロは良いことだとわかっているのだろうけど、その効果が出るまでには30年ほどかかってしまう。すると在籍中は不本意な経歴だけを残してしまいかねない。だから役人は短期的な目線で動いてしまうのかもしれない。

 

この問題は、安心と安全の議論だ。

政治的決断が必要なんだと思う。

だけど今の与党にはあまりに喫煙者が多すぎるし、育児中かたはもちろんほとんどいないし、女性の議員はあまりに少ない。やりたいことやって豪快に果てるのが武士の本懐みたいな猛者ばかりの集まりの中での議論だからタチが悪い。

 

ぼくは、政治家や新聞屋の喫煙率が、実社会と比べるとすこぶる悪いという笑えない現実が、よい意味での冷静な議論を妨げているのがことの本質なのかもしれないと邪推している。

 

オリンピックを契機に🚬のことが議論されるのはよいことだ。
だけど、議論の前提となる『タバコは害である』というコンセンサスは、まだこの国には醸成されていない(^◇^;) 自分で判断せず、他人様の感情論のなかで、落とし込み場所を決めるのを役人は好む。だけど健康の問題は、利権や利益のための議論とは違う。人々の中に巣くう無知の恥の温床は、政治とメデイアの不作為にあるが、啓発を怠った医師の責任はなお重い。

 

おわり