視聴覚の時代からいよいよにおいの時代へ
ぶろぐの読者であるスズキくんから、「先生、最近更新してないっすねー、楽しみしてんだから書いてかださいよー」と昨日言われてしまった(^◇^;)
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人間の嗅覚、本当はイヌ並み? 俗説覆す研究報告 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News
やたらにおいのことばかりを話題にしていると、
人様から、あなたのように『嗅覚に支配されていては理性的な人間にはなれない』とさとされてしまう。
視聴覚がニオイを乗り越えているそんな人がどうも文化的には高尚であるらしい。だから、長年の文化的信念に疑問符を投げかけてくれたこの論文の登場にぼくは拍手を送りたい。
ぼくは昔からやたらニオイに敏感で、これはよい匂いだ、あれなんか臭うねとやたらにおいのことを口にする。そんな習性が露骨に出るのは家族と一緒の時が多い。だいたいにおいてそばに家内が居合わせる。
きまってそんな時、妻は、
『なにを小さなことを』とか
『男のくせにチマチマと』とか
ぼくの自尊心はコテンパンにやられてしまう😹。
宇和島なるDNAによって得たぼくの嗅覚と港区育ちの家内のそれとは違うのかなと、やっぱり都会の言い分が正しいかなと思うこともあるが、やはり排ガスで子どもの時からいじめられた鼻よりは大自然の中で育った鼻の方が優れてるに違いないと思う。
だからそんなことは、どこ吹く風で、ことあれば、ぼくはものごとを視聴覚ではなく嗅覚で分類してしまう。
脳生理学はこの200年ひたすら視聴覚を研究の対象にしてきた。特殊感覚と呼ばれる視覚と聴覚の神経繊維を全部足しても、体性感覚の束にはとても叶わない。多い方が偉いのかと思いきやこれまでの脳生理は少ない方に関心を注いでそれを研究のネタとしてきた。
視覚が扱いやすかったのは単に刺激条件の統制がやりやすかったからだ。視覚情報は、他のどの感覚刺激よりも再現性を担保しやすい。聴覚も同様で言語的符号化がなされている情報なので視覚同様に扱いやすい。ただそれだけの理由で脳生理はもっぱらこの特殊感覚の研究にのめり込んできた。
嗅覚の研究は、刺激の再現性が難しいだけでなく刺激の強度や意味づけも難しい。ある人にとってのよいニオイは別な人にとってはそうでないからだ。
だからにおいの研究は視聴覚に比べるとあまり進んでこなかった。
ところがアルツハイマー病の初期症状に嗅覚障害があるとわかり嗅覚の研究が盛んに行われるようになってきている。
恐らくはこの紹介させてもらった論文もそうした方向性の研究に発展するんだろうなと思う。
体性感覚の刺激が、それ以外の五感の感度を変調させることが最近の研究で徐々に明らかになりつつある。たぶんにおいも同じようにパフォーマンスやエモーションに相当バイアスかけているように思う。
これからはにおいの研究がトレンドかなとぼくの鼻がピクピクしはじめてきた。
またね〜〜(^^)
追記
そういえば先日90近いお婆さんがぼくのところを受診した。
なにやら自分の嗅覚が働いて、出身を尋ねたら『大洲』だと言う。
以前も、宇和島の方を一発で見抜いてしまった。◯◯◯さんですか?ハイ。というだけで気がついているから聴覚の要素は少ないと思う。