補聴器市場はどう動くか・・・
https://ja.wikipedia.org/wiki/普及学
イノベーションの普及理論
ここで引用した画像はロジャースによる普及プロセスのグラフ。
グラフの意味するところは、
- 先駆者とか目新しいもの好きというのはおよそ2.5%、
- 時代の先を行ってるねと言われるようなアンテナを張っている人の割合は13.5%、
- 普及しはじめるとあっという間に 34%+34%=68%とまで広がってしまう。
- だけどもいつも偏屈というか時代に流されない連中というのはいるものでそれは以外にも16%もいるよ
というのがロジャースの説だ。
つまりものごとは普及しても84%が上限だし、2.5%未満のひとにしか支持されていないときはまだキワモノなんだよということになる。
そうした視点からイノベーションの成否を見極めることができる。
イノベーションを支援するクラウドファンディングという仕組みはだからよくできた仕掛だ。最初の2.5%を得ることが出来るか否かを簡単に世界の中にいる顧客に直接問いかけることができ知ることができるから合理的だ。
投資家はロジャースの理論をわかりやすくクラウドファンディングで実践しているといったほうが正しいのかも知れない。
→20170117追記 ここでロジャースが議論しているのは、フォーカスグループと見なせる集団内でのレスポンスのことである。
補聴器は普及するか
難聴の現状|ワイデックスがお届けする難聴と補聴器の総合サイト「みみから。」
このサイトによると日本の難聴人口は2000万人弱で人口の15.2%に達するらしい。
難聴という問題はイノベーション普及カーブからみればすでにMajorな領域に入っていることを意味している。もはや難聴であることは珍しいことではなくなったということになる。
普及という視点、ファッションとか差別・区別みたいな物差しからもう一度この数字の意味を考えてみる。
- 1%erの意見は嫌われる(疎んじられる)
- 3%erの意見も良くも悪しくも目立つ奇抜なスタイルと受け止められる
- ところが20%を超えると普通に見えてくる。
ということになる。
例えばアデランスやリーブ21が急成長したのは、今よりももう少し前の時代だ。
リタイアして達観したハゲのひとがかぶったり増毛したりしなくなったから彼らの勢いは昔ほどじゃない。おまけにトレンディエンジェルみたいなお笑いも市民権を得るようになったからかぶらない理由はいくらでもある。
世代毎のハゲの割合が増えたのではないが、高齢者が増えてハゲの実数が増えてきて、リタイヤ組がかぶらなくなって、つまりハゲのカミングアウトというかコモディティ化がすすんだというふうに理解しても良いように思う。
おなじことがきっと難聴でも起こるはずだと思う。
難聴であることがメジャーな時代
難聴という障害があたりまえになってくるとはどんな時代なのだろうか。
健康寿命がおよそ100歳までいくようになってしまうと本気で「まだ難聴じゃないんだ」なんて会話が成立する時代になってくるだろう。
そんな時代をおしはかるべく、まずは難聴でどんな困りが生まれるかすこし整理してみたい。
- 小さな音が聞こえないので途切れ途切れに聞こえてしまい単語や文の意味を性格に捉えるのに苦労するようになる。
- 雑音下での聴き取りが悪くなるが一方で雑音がある方が聞き取りやすいというような状況も生まれる。
- 音の方向感が失われる。
- 甲高い女性の声やこどもの声が苦手になる。
- あたらしいことばを覚えるのに一苦労する。
こうした問題を抱える人が、20〜25%くらいの割合でいつも自分の周りにいるという状況が生まれることになる。そのほとんどは65歳以上の悠々次的な老人である。
だから、自身が補聴器を使うと言う行動をとるよりも
- はっきりはきはきと話してくれるスタッフのいる場所を好むようになる。
- 雑音のある場所では聞くことをあきらめる(電車の中ではすぐに図書の精読モードに切り替えるとかイヤホンではなくあからさまにわかるようにヘッドホンをする、このとき実際には音楽を聞いていないかも知れません。)
- 近くに託児所や保育園を作るなと騒ぐようになる
- 最近の話題について行けず、自身の記憶の衰えについてすこし心配しはじめる。
ということになる。おんなこどもは無視され、ハスキーな声の女性がモテはじめるそんな時代が始まってくるだろうと。おひとり様の時代ということもあって家庭内コミュニケーションのために補聴器をつけると言う人はこの5年でも激減しています。それほどに孤立しています。ですから孤立した高齢者は補聴器を買わなくなります。店員がはきはきしているところにいけばいいかなと思うようになります。
こうやって考えてみるとぼくの頭のなかのどこにも補聴器が出てこないのです💦
だからぼくはユニバーサルサウンドデザイン社の時代ではないかと考えているわけです。