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こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

河村教授の一周忌をむかえて

昨年8月、恩師である河村正三先生がお亡くなりになりました。

追悼文の依頼があり、したためた文章をここにも記録としてとどめておきます。 

 

 

 

聴性誘発反応アトラス

聴性誘発反応アトラス

 

 

「扁摘にはじまり扁摘に終わる」 ~河村教授の訃報を知って~

去年の夏は暑い日が続いた。

9月の第2週、ボクは、いつものように杉田麟也先生のクリニックを訪れた。

その日の朝は、杉田先生に日本咽頭口腔学会のランチョンセミナーのことを開口一番報告するつもりだった。

 

杉田先生と目が合い、ボクが話し始めようとしたその矢先、

 

「河村先生が・・、亡くなられたよ。8月の誕生日の前らしい・・・。

 いつも通り船旅にでかけるなんていってたのに、その直前だったらしいよ。」

 

杉田先生は肩を落とし気味にこう口にされた。

 

 

 

 

 ちょうどその二日前、

ボクはランチョンセミナーの講師として大阪福島にいた。

ショートステイサージェリーとしてのコブレター口蓋扁桃摘出術」という演目で話しをするためだ。

セミナー講師の依頼が自分に飛び込んできたとき、実は正直あまりうれしくなかった。

聴覚や脳科学の講師を依頼されるときのウキウキししている自分からは想像もできないくらいに憂鬱だった。

扁摘じゃ、さっぱり気分が乗らなかったのだ。

 

「講演料もだします。旅費も出します。大阪の旨いもん屋にも連れて行きます。」

と担当のMRに口説かれ、ようやっと重い腰を上げて、大阪にきただけだった。

 会場のホテルはたくさんの参加者で賑わっていた。

けれどもそこにはだれも存じ上げている先生がいらっしゃらない。

 

「やっぱり来るんじゃなかった。」

 

せまい耳鼻科の世界なのになぜにこんなにアウェイなんだろう。そんな打ちのめされそうな気分を取り直し、足早にレジストレーションをすませた。

主催大学の美人医局秘書さんに案内され、控え室に向かった。

ひとしきりの事務手続きを終わらせたあとは、早めの昼食だった。

豪華な松花堂弁当ではあったが、気乗りしていないボクにとってはそれもご馳走には見えない。

 

「まあランチョンだからしかたがないな」

 

と控え室で、ひとりで早目の昼食をたべ始めた。

するとまもなく島根大学教授の川内秀之先生が登場してきた。

今日の座長をしてくださる川内先生は評判にたがわずナイスガイでにこやかだ。

 

時間が押しているせいもあって、お互い挨拶もそこそこにひたすらお弁当にむかった。

川内先生が半分ほど召し上がったころだろうか、それともボクのこわばった表情に気づいてなのだろうかか、突然、にこやかな面持ちで話しかけてきてくれた。

 

 ぼくは、この学会が初めての学会であることや、耳や聴覚や脳以外の話しは人前でしたことがないこと。なにより大阪という場所はあまり得意でないなど、実にたわいない「いいわけめいた」ことをいいながら、いさささか緊張気味であることまでも川内先生に吐露してしまった。

 

そのおかげかどうかは、わからないが、

話し終えた頃には、自分自身ずいぶんやわらいだ気分になれ、

のこりの冷えた弁当はうって変わってご馳走のように美味しく頂くことができた。

 

川内教授もボクもいささか早く喰いすぎたのか食べ終わってみると、

ランチョンまでにずいぶん時間がある。

そんなこともあって、ふたりはさらに話し込んだ。

川内教授は、僕がいまの病院でほぼ全例に対してショートステイサージェリーを行っていることにずいぶん興味をもってくださっていて、いろいろ尋ねてくれるし、お褒めのことばもたくさんくださった。

自分はと言うとそれにこたえるように(いつもらしくなく)すこぶる謙遜に

 

「単身赴任ということもあって、週末にちゃんと家族にあえるよう、2泊3日とか1泊2日のクリニカルパスで運用できるレパートリーをここ数年増やしてきただけです。扁摘もそのひとつにすぎなません。」

 

などとかわしていた。

 

「扁摘は自分のライフワークじゃないのでこういう高い席ではなしするのはなんとも・・・。必要に迫られただけの結果であって、今日の話はちっともアカディミックじゃありませんよ。」

 

と自嘲気味に答えたりもしていた。

 

その時、川内先生から突然、河村教授の名前が出た。

 

「先生、『耳鼻咽喉科は口蓋扁桃摘出術ではじまり口蓋扁桃摘出術で終わる』ですよ。河村先生もそうおっしゃっていたでしょう。先生のおしごとも立派な物ですよ。考えてもみてください。日本で最初に全麻で口蓋扁桃摘出術はじめた河村教授の弟子がいまこうしてまた新しい扁摘の時代の入り口にお立ちになっている。」

 

と、恐ろしいほどのお褒めのことば。

 

そしてなにより初対面の川内教授の口から「河村教授」のお名前を聞かされたことに、とてもおどろいてしまった。

市川銀一郎先生とすごした聴覚やらの時間のほうが圧倒的に多かったせいもあって、河村教授から手取り足取り扁摘を教わったことをすっかり忘れていたのだ。

川内先生とのお話しがきっかけで「(まぎれもなく)自分が河村教授の門下生」であったことを思い出したのだ。

 

 

 30年前、ボクは、河村教授の主宰するこの教室に入局した。

当時の医局長は加藤栄一先生で、齊藤秀樹くんと僕はペアでネーベンとして加藤先生から学んでいた。斎藤との研修はほんとうにいつもてんやわんやな日々だった。

 

当時、入局したての1年目は河村教授自らが執刀する扁摘術を直に見せて頂き、また手に手を取って深部縫合針による止血テクニックを教えて頂くというのがなにやら儀式というか恒例のことであった。斎藤とボクも他聞に漏れず河村教授から直接「扁摘」の薫陶を受けた。

 

 川内教授から「河村教授は・・・」とお名前を聞かされたその時、

ボクは30年前のそのときにタイムスリップしたような感覚を覚え、

そしてにこやかに笑顔で教えてくださった河村教授がまるで目の前にいらっしゃるかのような錯覚に陥った。

川内先生はよほど懇意だったのか河村教授にまつわるエピソードをいろいろ聞かせていただけた。

その場は、まるでそこに河村教授がいらっしゃるようなそんな気持ちになることさえできた。

 

 扁摘はアウェイ。

そんなネガティブな気持ちもどこ吹く風で、

ボクは、ランチョンセミナーの講師としての役割を無事終えることができた。

セミナーを終え、帰り際、ボクは川内教授に、

「今度、河村教授にお会いしたときには、今回の先生とのお話も報告しておきます。

 今回はいろいろありがとうございました。」

 

とあいさつし、足早に那須塩原へ向かった。

 

その二日後、ボクは杉田先生から河村教授のことをはじめて聞かされた。

きっとあのとき、河村教授は天国から舞い降りて、川内先生とボクの談義に耳を傾け、ボクを励ましてくれていたんだな。となにやら胸に熱いものがこみあげてきた。

その日のうちに、ボクは川内先生へ河村教授の訃報をお伝えするメールを送った。

 

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「たかが扁摘、されど扁摘」

 

河村教授からは多くのことを学んだ。

紙面には書き尽くせないほどにたくさんの教えやおもいでをいただいた。

そのことにあらためて感謝の気持ちでいっぱいだ。

本当に感謝している。

来春からの自分は、

自らの軸足をよりいっそう医育に関わる立場へとシフトさせなくてはならなくない。

そんな新しいステージにあってもきっとボクはこれからもずっと河村教授から学んだいろんなことばを胸にこの道を前に進んでいくんだろうなと思った。

 

河村教授のご冥福をこころからお祈りします。             

 

                           合掌。

2016年夏 河村教授の一周忌をむかえて