3.11. 思いで
記憶について
単モダリティの情報はなかなか記憶されない。
強く深い記憶はいつも複数のモダリティが関与した情報だ。
そしてそれらが同時性を持って押し寄せたとき鮮明な記憶となる。
さらにそれらが反復し、反芻するとき、
その記憶は忘れられないおもいへと変わる。
5年前の3月11日とはそんな忘れられない最悪な記憶としてボクの脳に刻まれている。
結婚式や葬儀の記憶はとても鮮明だ。
におい、光り、味、音。
五感がすべて刺激され、そして同じ空間で同じ感情を共有するからだ。 同じように、長い読経に足がしびれたり、お香のにおいに包まれることやお腹の空いたところで和尚さんと食事をするから故人へ記憶は確かなものになる。 冠婚葬祭なる手続きは、その記憶をけして忘れない記憶にするための人類が生み出した知恵なんだろう。
フクシマ大人災はおごれる人々に神が授けた鉄槌(試練)なのか?
東日本大震災は、人禍が引き起こした天災なのか?
5年経ってもだれもその責任をはっきりとしてくれない。
わかっていることは、
原発がなければこれほどひどい後始末はなかっただろうということ。
アメリカ製の内陸の奥地に設置するような設計の原発を津波も想定せずにそのままに海辺につくったのは無知からだったのか?
それとも巧妙に仕掛けられた、長崎、広島に続く、フクシマに仕掛けられた時限爆弾だったのだろうか?
他聞に漏れずぼくの記憶も平準化されたり強調化されたりしながら、
少しずつ減衰し、忘却されていくようだ。
それでも5年という月日の中で3.11.の記憶は少しだけ他の記憶とはちがうかたちでぼくの記憶にも人々の記憶に刻まているように思う。
記憶はなぜ定着するのだろうか?
なぜ忘れ去られるのだろうか?
視覚と聴覚だけだと記憶はすこし弱い。
2モダリティな情報は弱い。だからそんな情報はいつも反復させないと記憶されない。反芻しないとなかなか記憶化されない。
テレビが、ラジオよりもわれわれの脳に積極的にそして衝動的に働きかけてくるように感じるのは、じつのところ「繰り返し」にほかならない。
頻度で記憶がつくられる。
しかし、ラジオという単モダリティでも記憶は鮮明に刻まれる。しかしそこにはひと工夫した反復がある。別のファクターが絡んでいる。
親密度(なじみやすさ)はそのひとつだろう。
ナレーターの顔が思い浮かぶくらいならもうすでにテレビよりも記憶を獲得できるメディアになっている。
記憶は減衰し忘却される。
それが常である。
この減衰と忘却にブレーキをかける力が「ショック」だ。
「恐怖」といいかえることもできるだろう。
あるいは「激しい痛み(身体や心)」と言い換えてもよい。
痛みや恐怖を伴う記憶は生活に不都合をもたらす。
フラッシュバックは容易に感情失禁を引き起こしてしまう。
だから、PTSDという不都合な記憶は、はからずも記憶の減衰や忘却が引きおこされないようにしてしまった状態といえる。
ヒトは忘れる生き物である。
だからつらいことを乗り越えられる。
忘れることのできない記憶は、ヒトを不幸にしかしない。
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3.11から5年が経ちました。
鮮明に記憶している人もいれば、記憶が薄らいでいる人もいるようです。そんなひとそれぞれの違いは、音、光り、におい、振動といった五感でどれほど沢山の情報をその時感じ取っていたかの差異でしかないように思います。
記憶の形骸化は「失敗学」的にはNGなことであると思いますが、忘れることなしに前に進めないという忘れることが未来を生むという事実もあります。
5年という歳月のこれまでとこれからの5年さらなる5年。おそらく記憶というものはいずれ変容し減衰していく。このことだけは避けようのない事実です。そうしたヒトの生理を科学的に理解した上でわれわれは過去の経験を社会学的にあるいは哲学的に乗り越えていく必要があるのだと思います。
合掌 311をふり返って。