こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

先輩が閉院することになった(-_-;)

10年ほど先輩の耳鼻科の先生が閉院されることになった。
年賀状でしか存じ上げない先輩だが、そうしたやりとりはもう30回近くになる。
ご子息が後を継がないためだと風の便りを聞いている。
 
その先生が開業されているエリアは人口減少と高齢化が極端に進んでいる。
あげくに田舎町で交通インフラも十分とは言えない。
 
子どもと年取りを相手にあきないが成立する耳鼻科医。
その開業の成否は患者さんのアクセスビリティが担保されるのが条件だ。
過疎化と高齢化が進めばおのずと耳鼻科のビジネスモデルは損なわれていく。
 
ちまたでは、病院で補聴器販売するはなしが話題になっている。
アベノミクス規制緩和から補聴器屋に儲けさせるのではなく
病院が利益総取りを考えているかと思う。
 
修理業や技能者の資格という課題があるからそう簡単な話ではなさそうだけどもボクにはどうもピンとこない。
世界はすでにインターネット上でのセルフフィッティングの時代になっていて普通に通販で補聴器が売られているのになぜにさらなる規制強化をするのだろうかと言う風に思えてしまうからだ。
 
2002年にNEDOの開発費で補聴器のインターネットフィティングソフトとそのプラットフォームはすでに出来上がっていたが、岩盤規制ゆえにその事業化は実現しなかった。
2014年にもNEDOクラウド上でセルフで聴覚のチェックができる仕組みを構築してこの5月にリリースしたが、いまのところはそれに対するレスポンスは「凪」の状態だ。
 
ボクの父親は8年前に急逝した。
自分の気持ちや考えをまとめる時間もなく
なんだかわからないうちに閉院することになった。
その時の大変さや無力感はいまでも鮮明な記憶だ。
まだ通院中の患者さんには他に行ってもらうように紹介状を渡す。
3ヶ月くらいは毎週末にそうした作業をしていたように記憶している。
 
ボクが現時点で開業に踏み切らないのは
じつはそうした閉院の大変さを身をもって経験しているからかも知れない。
 
それに当時は大学にやり残した仕事があると変なプライドもあった。
どこか開業医を見下すようなそんな気持ちがあったのかも知れない。
振り返って見るとそんな当時の気持ち、
いまやどこに霧散してしまったのかと思えてくる。
実際そんなものがあったのかなと。
 
人が去っていく、
それもなくなるのではなく自身で幕引きされる
そんなことをこのごろは頻回に見聞きする。
失敗しないといわれている耳鼻科の開業、
その実、診療科変更はむつかしくつぶしはきかない。
急激にすすむ高齢化やインフラの変化というものが直撃しているようだ。
その最後は実はとてもせつない。
 
社会の変容を考えるとやはり現実的なアクセスビリティの担保できない路面店としての開業医はもはやオワコンだ。
 
PS
そういえば古くから存じ上げていていつも楽しいお酒におつきあい頂いていた内田先生から先日電話を頂いた。
息子さんが後を継がれることがきまったらしい。
久しぶりの患者紹介の件での電話ではあったが、
ひところの息子が帰ってこないとさみしそうに語る姿とはうってかわっての元気そうな声だった。
継承という歴史が重なることで人はまた意欲を燃やすのだろうか。
 
つくづく自分は親不孝な息子だったとすこしだけ悟った。