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こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

仕事、遊び、家族、そしてこの国で暮らすという意味。

  • 仕事:「老廃、労に堪えず」というのが1960年代くらいまでの考え方だった。基本ヒトは死ぬまで働くのが当たり前だった。戦後の好景気と雇用調整の局面から定年というコンセプトが企業や役所に持ち込まれた。1970年代は55歳が定年だった。その後徐々に延長されて、今は65歳だ。おそらくそれも近いうちに延長するだろう。定年後に趣味や投資で生活しているヒトもいるが見方を変えれば収入の多寡はさておき頭を使った仕事をしていると言えなくはないだろうか?もちろん年金だけで引きこもっているのは働いているとは言えないだろうがそれこそ 老廃 ではないかと思う。仕事とは結局のところ生涯にわたってほどほどにお金を生んでくれる趣味のことを言うのではないかと思うのだ。なぜにそうしたことを思ったかというとバイト先の放射線検査技師さんに「定年後はどうされるんですか」と予想外の質問を受けたからに他ならない。自分は細々とでもずっとこの楽しみを続けたいと思っていたからだ。みな老後はじっとしてるのかなと実際あたりを見回してみたが私のまわり、つまりお医者さんは実にたくさんの方が高齢でも活躍している。
  • 遊び: 遊びが仕事にこしたことはない。好きなスポーツでプロになり、後進の指導をして、最後は殿堂入りかスポーツキャスターなんてのは最高に楽しい生き方に思える。だけどこうした職業は見事にピラミッドが形成されている。オリンピックでメダル取るほどであっても趣味が仕事になることは少ない。ましてや音楽やアートの世界ならなおさらだ。カメラマンを目指して、プロとして活躍している人といったらごく一部にすぎない。それでも皆遊びを仕事として成立させたい気持ちを捨てられないようだ。現役時代にたくさん蓄えてそれでもって遊び倒すなんて生きかたもあるのもしれないが、これほど人生の時間が長くなってしまうと60過ぎてからのキリギリスな生活はどうも感心できない。
  • 家族:  日本人の平均寿命はいよいよ男女ともに80歳を超えてしまった。今50歳代の女性の5人に1人は100歳超えるポテンシャルらしい。おどろいてことばもでない。されどその長寿は万々歳に思えない。その晩年を幸せとは思えないからだ。平均寿命に対して健康寿命というのがある。健康で自立して生活できている年齢のことだ。平均寿命から健康寿命を引き算した期間が、なんと10年近くもあるからだ。80過ぎてからの10年が要介護ではどうにもならない。なぜってわが子もすでに高齢者だからだ。実際、今頃見聞きする不幸な話のほとんどは老老介護の行き着く末路な話ばかりだ。熟年離婚の話題もことかかないが、これから先の10年後20年後は独居老人の孤独死の話ばかりになるんじゃないかと陰鬱な気分になってくる。孫がいないで長寿になるとろくなことはないように思えてくる。少子化という流れが止まらない今、家族の形に関するイノベーションがないことにはこの国は立ち行かなくなるのは間違いなさそうだ。
  • この国で暮らす意味: 今日のブログの核心はこの話だ。超富裕層な高校の同級生は日本の税制に嫌気をさして昨年末に国外退避した。スポーツジム仲間の早期退職して投資で食べている方になぜあなたは国外退避しなかったのか?ととうたら、出遅れただけ。考えてみたらもう日本も外人だらけ、20年後が思いやられると。彼の大きな誤算はこの国が日本人の一色のままで今後も続くと期待したかららしい。そしてかれはひとりひとこと。タイミングみて出ますよと。日本語、日本食、日本人の三拍子が揃わなくなったら確かにこの国にしがみつく理由はないのかもしれないなとマネーでマネーを動かす人は考えるんだとひとり納得した。こうやって日本語で書いた文章がときどき出版物になったり、日本語を使った会話でしか成立しないような相談事、医療カウンセリングすることが私の今の生業だ。だから自分は海外で働くことは経験として短期的に希望することはあっても移住するほどの思いにはならない。
こうやって、仕事、遊び、家族、そしてこの国で暮らすという意味を考えてみると自分はもうすでに随分具体的に選択肢を慎重に選びつつあるのかなと思う。TEDかNHKの番組だったか覚えてないが、学問を楽しいと思えるように自分も子どもも育っていくことこそが、仕事、遊び、家族、そしてこの国で暮らすという価値を見いだす大事なきっかけになるのかなと思う。