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こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

パラレルワールド考

パラレルワールド - Wikipedia

『「この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」というアイディアは、「もしもこうだったらどうなっていたのか」という考察を作品の形にする上で都合がよく、パラレルワールドSFにおいてポピュラーなアイディアとなっている(Wiki)』

パラレルワールドはSFでよく知られた概念であるだけでなく、実際に物理学の世界でも理論的な可能性が語られている。例えば、量子力学多世界解釈や、宇宙論の「ベビーユニバース」仮説などである。ただし、多世界解釈においては、パラレルワールド(他の世界)を我々が観測することは不可能でありその存在を否定することも肯定することも出来ないことで、懐疑的な意見も存在する(Wiki)』

 

われわれは、目や耳や口や鼻や皮膚と行った器官で外界の刺激を受け取っている。これは365日24時間実にたゆまず行われている。

末梢感覚受容器から中枢へと向かう電気的なインパルスは、脳幹や辺縁系を通過して、大脳皮質で「情報」に置き換わる。意識レベル以上の情報と意識レベル以下の情報という2つの弁別はもっぱら刺激強度・刺激頻度・新規性という3つのベクトルの中で処理されて、その閾値が決定される。

脳内では常に情報には重み付けがなされ、脳にとって価値のあるものだけが意識上に上がり、意識によってコントロールされる。そして、価値のないものは意識下で自動処理される。脳が10%しか活用されていないという学者が後を絶たないのはこの活躍している意識上の変化だけを観察しているからなのだと思う。

 

われわれヒトの学習や記憶とは、まず聴覚という一次元情報(時間軸)の上に、視覚という二次元情報を並べることでそれの脳内定着を測っている。フェースブックで言うタイムラインこそがわれわれの記憶である。

しかし、記憶や学習は時間によって歪んでいく。心理学のことばで言う「平準化、強調化、減衰(忘却)」のことである。われわれは自身の脳というハードディスクの中では実は非常に都合良く記憶を変容させてしまっている。そこに悪意はない。脳内ではおぼつかないからヒトは記憶や学習した情報を書き留めることになる。

 

書き留めることばに声の大きさやリズムのような感情を盛り込むことは難しい。文壇作家ならいざしらずわれわれはほとんどそうした感情を文章に見事に盛り込むことは苦手だ。それでも皆なんとか自分の記録を残そうとする。一般的にはそれは日記や手記やblogの形をとるのかもしれない。しかし、名のあるひとはもう一つ積極的な行動を選択する。そう自分にとってもっとつごうのよい記憶の集大成の作成である。

そうした理由からだろうか、自伝の自費出版サービスは世にあふれている。いまではだれものが金さえあれば書籍の中に自分史を残すことができる。最年少の著名人の自伝は映画ソーシャルネットワークの元本となったザッカーバーグ氏のそれではないかと思う。

自伝はタイムラインである。しかしそのタイムラインは都合良く書き替えられたある種の抜粋でしかない。しかしヒトの記憶が平準化、強調化、減衰(忘却)」するゆえにそうしたダイジェストはそれはそれで必要にして充分なものでもある。自伝は紙のなかの世界であり、生きている本人の人生とはある意味パラレルワールドな関係にあると言えるのではなかろうか。しかし、リアルと紙の2つの世界観はわれわれの意識の中では別ものである。おなじようにテレビの中のスターとその人の日常に乖離があってもわれわれは多少の幻滅やその逆があったとしても目くじら立てることもない。

 

ところがインターネットの世界は書籍やメディアほどの垣根がないような状況が生まれてしまっている。そうSNSの登場により、インターネット上のタイムラインはある意味真実のようにふるまうことが許されているからだ。FB上のタイムラインは実世界とシンクロナイズした書き込んだ個人にとっての自己都合による自伝として自他認める世界を生み出した。それはそれですごいことだし良いことに思えるが、一方で、そうしたSNSの世界を個々人が自己都合で自由に使いこなすことも生じている。

 

SNSの中にはドッペルゲンガーどころかトリプルゲンガーあるいはマルチゲガーな人格にあふれている。もちろんそれは、まっとうな理由からそうして事態が生じただけなのは充分に理解できる。結婚後に姓がかわり新しいアカウントをつくってしまった。ログインパスを忘れて・・・とかいろんな事情があるだろう。単純につくったことを忘れて2つ以上なんてこともあるかもしれない。

 

結婚前の旧姓のタイムラインと結婚後のタイムラインを使い分けるSNS上のドッペルゲンガーな彼女たちは、いつしか結婚後の姓でのタイムラインにも過去を重ね書きしていくそこには夫に不都合な情報はない。プライバシー設定ではなくアカウントの重複という手段によって、結局われわれは自分の過去をパラレルワールド化することに成功してしまった。

 

こうした過去の時系列への介入になれてきた先には、未来の時系列もまたパラレルにしたいという願望を持つ人を生み出すのだろうか?