こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

耳鳴りってなんだろう?

最近、勇ましいタイトルの耳鳴攻略本の売れ行きが好調らしい。
本当に9割も治ってしまうならもう私は商売替えしなければならない。
現場で耳鳴診療に苦労している身としては、私が不勉強なうちに、医学は随分進んだのかと自身の不学を反省してしまいそうになる。

耳鳴りの9割は治る (脳の興奮をおさえれば音はやむ)

耳鳴りの9割は治る (脳の興奮をおさえれば音はやむ)


宇都宮済生会病院の新田耳鼻咽喉科部長と慶応大の小川教授らの手による本書は、耳鳴に対する音響療法の一手段である補聴器を使って耳鳴に順応させる方法、古くて新しい TRT療法の有用性を説いたものである。
難聴を伴う耳鳴に対しては補聴器の装用で90%の方が満足いく耳鳴改善を自覚されたという自験例が展開されている。読んで気になったのは解決のためには少しばかりというかかなり現実ばなれした通院プログラムを履行せねばならぬようによみとれること。取り組まれる患者さんの負担はかなり大きいように思われる。また、なぜ脳が興奮するのか?については、一般書という制約があるのだろうが、その意味を本書から理解するのは難しい。
視床説は一つの解釈ではあるけど、仮説のひとつすぎないと思うのはボクだけなのだろうか?

脳の可塑性

脳の可塑性

  • 作者: Aage R.Moller,中川雅文,尾崎勇
  • 出版社/メーカー: 医歯薬出版株式会社
  • 発売日: 2009/12/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
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脳の可塑性の翻訳では、新田先生にも参加してもらった。しかし、どうやらこの本を書かれたメーラー博士の学説とは一線を画した論理を新田先生と小川先生は展開されたいらしい。メーラー先生を師と仰ぐ私にはどうもしっくりこない。


一昨日の第116回耳鼻科総会のランチョンセミナーは、NTTコミュニケーションズの柏野牧夫博士の話が秀逸だった。「錯聴」に関する講演は示唆に富む過去の知見を紹介してくれた。そして最後に、自閉症スペクトラムの原因は聴覚性の脳幹障害という視聴覚しか扱わない工学者ならではの大胆な仮説でくくられた。どうもこの手の研究者はresting stateは何もしていない、脳は動いていないとの前提で話を展開されるから厄介だ。アイドリング状態の違いとか体性感覚のことには一切触れてこないというか避けているように思う。
そんななかでも私の興味を引いたのはは、音韻修復現象の説明だった。

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音韻修復は、古くから知られている現象である。私も2008年にためしてガッテンに出演させていただいた時に、番組でこの話を紹介させていただいた。断続的な情報ではそれを理解することは難しいがそこに適当なノイズをあてがうと情報が浮き上がるという現象だ。
結論から言えば脳はいつも自分勝手に都合よく事象を解釈するいい加減な臓器であるということだ。
耳鳴もまた脳が生み出した「ないもの」のひとつ。
都合よく情報を受け止め解釈する。補正して認知する。
人としてのいい加減さが耳鳴なんだと(そういえば几帳面な人ほど耳鳴になりやすいのはそうした理由なのかな?)。

その前日の新田先生の難聴を補聴器でコントロールすれば耳鳴が改善するという話があった。
この場合は途切れ途切れの音を補聴器で正しい音に聞こえるようにすれば正しくラクダと聞こえるよという話。
繰り返しになるが、柏野先生の方は、途切れ途切れに聞こえると脳は本来のことばを理解しがたいが、途切れたとこに雑音をあてがうとないはずの音を脳が想像してうまい具合にあてがって、それなりに理解できるというはなし。
前日の新田説後に柏野説聞いてしまうと補聴器なんて不要だよ。世間をうるさくすれば騒がしいほどに難聴者は聞き取りやすく、耳鳴者はそれを訴えないよなんて変な理屈が通ってしまいそうだ。
音韻修復現象は脳が自分で都合の良いものを生み出すという話だから脳にコンテンツが収まってなければそこで想起されるのは勘違いや聞き間違いでしかなくなってしまう。

今回の日耳鼻総会は、なにやら頭の中を刺激してくれた。
日頃から現場で感じていたのは、難聴を自覚する人は早くから補聴器に入っていけるのに、なぜか耳鳴のある人は難聴があってもそれを自覚しないているという現実だ。
今回の学びはわたしに「耳鳴とは脳自身が自ら音韻修復していくという副産物であって、不都合なものでもなく、とても合目的な現象じゃないか。」と。

脳システムがなんらかの原因で本来行うべき最適な音韻修復をできなくなったときに耳鳴を訴え始めるという解釈なら、耳鳴の原因は脳という話も納得がいく。だからやっぱり耳鳴に伴う不安障害の一つに自殺という深刻な問題が含まれているのだと思う(耳鼻科の学会の偉い先生たちは立派な大風呂敷の外科医でありたいようで耳鼻咽喉科頭頸部外科学会に名前を変えたい方が主流派のようだけど、難聴や耳鳴を扱うぼくからみるとそうした切った張ったは少し縁遠くてしっくりこない)。
さて、
そういえばメーラーの脳の可塑性の本には、耳鳴扁桃体説と同時に耳鳴が迷走神経刺激不足説が書かれていた。これは正確には耳鳴に伴う不定愁訴が自律神経の不調から生じるとする仮説のことである。

そうなると巷の怪しげな耳鳴治療もあながちトンデモハップンとげにもできない。でもこうした自律神経改善法は、耳鳴に伴う不定愁訴の改善であって耳鳴そのものを治す治療ではないということ。でもそれで自殺企図を回避できるならそれに勝るものはない。

インプラントを用いた迷走神経刺激治療法は、DeRidder教授らが積極的に行っているてんかん治療を応用した方法でこれがおそらく迷走神経に介入する最善の耳鳴治療だと思う。だけでやっぱり侵襲性があるというのは耳鳴患者には二の足踏ませるようで、まだまだメインストリームには程遠い。

非侵襲が好きなボクとしては、耳鳴は自ら脳が行う音韻修復であるとする仮説のもとに、そもそも耳鳴に取り組む必要さえないよと説き伏せて。低侵襲な迷走神経刺激治療、例えば足つぼ刺激(ソマセゾンやソマセプト)とかウォーキングといった低予算ですむ治療で充分に思うわけです。

そこそこ学会に発表するのはしているけれど筆が遅くてまだ論文になっていない。複数のプロジェクトが動いていると予算も自腹な自主研究はお金に余裕がないと投稿費用もやりくりできなくてジレンマなまま。公的プロジェクトを早く仕上げて本気で資金集めして再開しなきゃなと思ったりしてます。
製薬メーカーも医療器械メーカーも関係してこない生活指導主体の研究はとにかく研究費を稼ぎ難い。
誰か寄付金くれませんかね(^◇^;)