米山文明先生を偲んで。
平成27年3月31日 文明(ぶんめい)先生はお亡くなりになったそうです。
先日、偲ぶ会の案内状が届き、そこではじめてそのことを知りました。1925年生まれだったと記憶していますから、おそらく90歳であったと思います。
わたしは、順天堂大学に入局した昭和61年から音声外来に出入りさせていただいていました。個室の外来ブースには耳鼻科の診療ユニットそこのけでピアノが一台ドーンと設置されていて、なにやら音楽教室の先生のような感じで、歌唱のプロがおちいった声の不調の治療にあたられていました。
有名なミュージシャンを間近でみられるというただただそれだけのミーハーな気持ちでわたしはぶんめい先生の音声外来に出入りしていたのです。
あるときには外タレの宿泊するホテルの隣室に彼が滞在する期間中、ずっとおともして、それはさしずめプロスポーツ選手につきっきりなチームドクターとかパーソナルドクターそのものにようにバックステージに待機しているというとても気の長くなるような大変な仕事を行われていました。
ピアノの才能がないわたしは、3年もしないうちに、聴覚のほうの研究をすることになってしまい。医局人事のローテーションでの転勤がくり返されるうちにぶんめい先生とは年賀状や暑中見舞いだけの関係になってしまいました。
それからずいぶんしばらくして稲城市で開業されているわたしの師匠でもある安藤一郎先生から「ぶんちゃんが本出したみたいだね」と教えられました。
「プリマドンナの歌声」「声と日本人」「美しい声で・・・」と文明先生が矢継ぎ早に出版される背中をみながら、いつか自分もこんな風に世間の人たちに診察室ではない場所でいろいろ語ってみたいと思うようになったのです。
Amazonでわかる範囲でみても15冊以上も単著で書かれていることがうかがえます。
今は亡き順天堂五号館五階の耳鼻科研究室や旧1号館の階段教室脇の医局で外来前にお茶をすすりながら、「先週は歌手の◎◎を診たよ」「マリアカラスの主治医となったときはねぇ・・・」と昔自慢のホラ話を聞かせていただいたりとぶんめい先生とすごせたその短い時間はいまも記憶に鮮明に残っています。
順天堂の音声外来はいつの頃からか普通になってしまい、今では音声外来と言えば山王メディカルセンターボイスクリニックの渡邉先生を差し置いて人材はありません。
およそ30年前の今頃わたしは医学部をでて医者になったわけですが、そのときのぶんめい先生と医局でいろいろにお話を聞かせていただいたり、音声外来を手伝うことを通じてリアルな感覚器外来(音声外来)をみせていただいたことが今の自分の多様性というかはちゃめちゃに自由であり続けることができている証左かなと思いました。
米山先生のご永眠に対して、礼!