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こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

耳と脳 〜臨床聴覚コミュニケーション学試論〜

 

 

15年前に「ろう文化(青土社)」を読み、医学のベクトルと人の心の向かう方向に乖離が生まれるだろうという危惧を持ちました。

ろう文化

ろう文化



遺伝子を取り扱う時代になるときが一つの交差点になるだろうと。

医学の担い手である研究者や医師は、医学の進歩という「是」の中でしか生きていくことができない生き物です。

医学の進歩が、人々の期待や気持ち(良い意味での未来)との目指す方向性が同じであった時代、そうした蜜月を終焉させたのが、iPSやSTAPというエポックです。

遺伝診断・遺伝子操作によって新しい時代の医学が始まりました。

もはや病を治すから、病を未然に防ぐ(有害とその時の人が考えたモノを事前に排除する=優生学)という行為に医学の目的は変容しています。

そすた実践に対して、本来は生命を取り扱うという意味で畏敬の念をもって行うべきところが、もはや恐ろしいほどになんら呵責の念も感ぜずに実施することができるようになってしまいました。

遺伝子学は生命の起始点を倫理や宗教観ではなく科学という物差しで捉えるようにわれわれをマインド・コントロールすることに成功したように思えます。

 

そんな医学の変容に身を委ねることに居心地が悪くなっていたわたしが書店でふと手にしたのが、鷲田清一さんの「聴く力 臨床哲学試論(阪急コミュニケーションズ)」です。「耳と脳」は、鷲田さんの書籍にインスパイアされて生まれました。本書には実際にわたしが現場で経験したつたない臨床経験や友人としてのろう者や難聴者との交流の中から知り得た情報や知識も含まれています。医歯薬出版というバリバリの医学系出版社からの出したわけですが、タイトルにあるように「試論=エッセイ」として、臨床医として現場に経つ自分とは異なるもうひとりの自我によって、したためたものです。

 「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)

「聴く」ことの力: 臨床哲学試論 (ちくま学芸文庫)


われわれ医療者は、どんなにそのおもいが逡巡したとしても結局は医学の実践(臨床)を通してしか社会に貢献できません。しかしそうしたベクトルはひとつの視点にすぎないかもしれない。複眼的に「耳」の問題をもう一度考えて欲しいという気持ちから書いたものです。

結手