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こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

言語聴覚士、頑張れ!

いろいろ考えるところがあり、今回はすこしばかり難しい話しをします。

下に示したマインドマップ、現在の聴覚障がい者を取り巻くインフラと環境を列挙しています。

不足する項目もあるかもしれませんが、現在のトピックスをおよそカバーしていると思います。

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こうやって整理してみると耳鼻咽喉科医が皮相的なかたちでしか彼らとむきあえていないなあとさみしくなってしまいます

耳鼻咽喉科医はいつのまに最新の医学を医療として病める人に提供することに特化した技能集団になってしまったのでしょう。マインドマップで示したような俯瞰的な立場から聴覚医学を語れる耳鼻咽喉科医は少なくともボクの周りにいないことに気が付いてしまいました(自分自身も含めて(^^;)。そしてこれからは言語聴覚士の時代なんだなと思ったわけです。

 

言語聴覚士が国家資格となっておよそ20年が経過しました。

病院や介護施設や福祉事務所の現場などで彼女たち(彼ら?)が活躍する姿をみつけることは難しくありません。専門性を高め聴覚の専門家として人工内耳や補聴器あるいは学習障がい(LD)児などにもっぱら関わっているというかたも増えてきています。

耳鼻咽喉科医であるわたしは、こうした専門性の高い言語聴覚士が聴覚障がい者をサポートしてくれる体制が充実していくいまの時代を本当に心強く思います。耳鼻咽喉科医のできないことをきちんとサポートしてくれている人たちがいるんだと安心できるからです。

しかし、言語聴覚士の中には最新の医学を実践するキュアの担い手、耳鼻咽喉科医に従うだけの単なるテクニシャンも少なからずいます。耳鼻咽喉科医が見せてくれる医学や科学の世界の中に自分たちの未来があると感じているからかもしれません。

 

遺伝学、脳科学、統計学という3つの学問はコンピュータサイエンスのおかげで進歩しました。といってもそれはほんの20年くらいの出来事で、言語聴覚学の歴史そのものです。

遺伝学も脳科学も統計学も人の成長や発達という目で見ればまだまだ若造にすぎないのです。

しかし、その若造はたいしたもので、遺伝学は出生前あるいは着床前診断を可能にしましたし、脳科学は神経可塑性の発現メカニズムをあきらかにしました。

遺伝学、脳科学、統計学の3つを二十歳そこそこの若造と表現しましたが、実はドッグイヤーに例えられる急成長ぶりでその中身はあまりに頭でっかちです。わたしたちが学生の時に周りにいたような「いかれた天才君=理念なき博覧”狂気”」がその本質です。手段が目的化したこれらの学問は社会性という衣をまとうことなくばく進しています(だからいまの研究は倫理員会通さなければならないのです)。

音声認識技術とグーグルグラスのようなヘッドマントディスプレイの組み合わせで目で読んで補聴するといったデバイスの開発も日本で始まっています。音が見える声が読める時代が来るとコミュニケーションの定義そのものが変わるかもしれません。4月に発売が予定されているアップルのiWatchは、脈拍センサーで捉えた鼓動を相手にも伝える機能が備わっているそうです。寄り添ったり触れることなくお互いの気持ちを相手に伝えることができる時代はまちがいなくやってきます。

 

歌舞伎役者の玉三郎さんは「人と人が同じ場所にいて、相手の姿を目の前にして、その場に流れ漂う空気を共有する。それができていれば、言葉は交わさなくても、コミュニケーションは十分に成り立つ。同じ場所にいることで心と心のつながり、魂と魂が触れ合える。(電通報 2015.01.30.)」とコミュニケーションの本質が非言語コミュニケーションにあるといいます。

 

補聴器も人工内耳も音楽を楽しむにはあまり役に立ちません。これらはいずれも言語情報を音声情報に置き換える装置に過ぎません。コミュニケーションの本質が非言語だとするならこれらの器機はいったいなにのための道具と言えるのでしょうか。

相手の話した声がテキスト情報として即座に眼前のディスプレイに表示される技術の開発はすでに始まっていますし、環境音や音楽を体性感覚や視覚に置き換えて伝える技術もすでに実用化されています。ICTによるイノベーションがわれわれのコミュニケーション作法を変えることは疑いようもありません。

 

聴覚障がい者を「病める患者」という視点からみてしまいがちな耳鼻咽喉科医にこれから何ができるのでしょう。

聴えのハンディをひとつの個性をもった個人としてみることのできる、そのひとの健康・福祉・教育・文化(ろう社会との関わりを含む)といったずべての面から全人的に支えることのできる、リベラルアーツとしての医学も社会学も包括した意味での聴覚学を理解し実践できるのは誰なのでしょう。

 

聴覚障害児と共に歩む―内なる魂の声を求めて

聴覚障害児と共に歩む―内なる魂の声を求めて

 

 

 10年ほど前にトマティスセンターでお会いしてから親交のある森峰子さんのお母様の手記(遺稿)。森さんから頂いき、読み終え、わたしは自信の耳鼻咽喉科医としてのふがいなさを感じたのです。

言語聴覚士の教育にも関わる立場から、彼らをもっと学ばせ、未来の担い手に育て上げなければと反省した次第なのです。

 

PS

ICTによるイノベーションはおそらくコミュニケーションの定義を書き替え、健常者と障がい者の垣根をいっきに取り払ってしまうことでしょう。その日が訪れるのは楽しみですが、そのとき保守的な耳鼻科医はその役割を終えるのかもしれません。

今回のブログの正しいタイトルは、「ぼくのような耳鼻科医学はもはやオワコン 」のほうがまとえてましたね^_^;