皮膚でも舌でも聴くことはできる?
おはようございます^o^ 聴覚評論家の なかがわ です。
それでは スタート(-_^)
海外の研究者が面白いこころみをしています。
舌の先に取り付けたデバイスによって、耳ではなく、舌で聴くという装置を開発したようなのです。
でも実はそれに似た試みは10年以上前に始まっていました。
それは「舌で見る」という試み。
2002年頃に始まったこの研究、今ではさらに洗練され、
こんなデバイスになっています。
舌で見えるなら、聴こえもあるんじゃないか。
そんな感じで、今回のような研究が進んできたんだと思います。
私が大会長を務めた国際脳電磁図トポグラフィー学会、2004年にTDS で開催したのですが、
その時、「舌の表面に切手サイズの無数に電極のついたシートをおいてそれを文字のかたちを模して通電すると文字を認識できる。20分くらいの訓練で誰でもできるようになる。」そんな研究成果か報告されました。
当時は大きなパソコンでしかできませんでしたが今ではそれがスマホでできるのですから驚きです。
しかし、よくよく考えてみると、舌などの体性感覚器で聴るっていうのは当然のように思えます。
視覚や聴覚の認知処理における大脳活動のながれ、ストリーミングはどちらも二系統からなっています。
視覚は、どことなに。聴覚は、いつとなに。そしてさらに、どんなという質感の処理を行います。
最終的には視覚も聴覚も、言語的に符号化された認知となります。
味覚や触覚といった体性感覚も同じように どこ、いつ、どんなの処理をしています。
しかし空間に関する情報は目や耳のような精度はなくとても漠然としたものです。しかし例えば口の中は小宇宙のような外界に隔離された世界を構築しているので、味覚単独てみると視覚にも聴覚にも左右されないとても多彩なそして豊かなマイワールド的な情報処理を行うことができています。
時間展開も目や耳に比べるととてもゆったりです。
視覚と聴覚における感覚統合に比べると体性感覚はそれらとの感覚統合がなされにくいそんな印象を持たれがちですが、どんなという非言語情報ついてはしっかり脳の中でつながっています。
切手サイズの電極で舌を刺激すると文字を認識できる。それも誰でも簡単な訓練でできる。そうした事実から舌を時系列刺激すると今度は聴こえたとなったのですから、視覚と聴覚と体性感覚のすべてが言語、非言語においてオーバーラップしていることは疑いようもありません。
ワイシャツの襟の糊が効きすぎてとか、静電気でなんかチクチクするととか、着心地の悪さは、ある意味言語的非言語的メッセージかもしれません。
わたしたちの耳からの聴こえの質感や認知といった情報処理も影響は体性感覚の影響を受けているかもしれないのです。
そういえば、アスペルガーやASDの子どもたちは同じ洋服にあるいはぬいぐるみや枕に強いこだわりを持っていたりします。
彼らの障がいは、読み書きやきこえの障がいとして理解されがちですが、体性感覚の過敏さから視聴覚をうまく活用できてないだけかもしれません。
ラバーフェチなんかもそんな視点から思考するとその病理に違う解釈もできるかも、制服や勝負服なんてものも単に見た目の問題ではなく、皮膚と語り合う、皮膚から語りかけされる。
そんなことで心を整えているそんなコミュニケーションなのかもしれません。
本題に戻りますが、舌で聴くことができる。このことは例えばガムとか飴みたいなものでも、音楽で耳鳴りをなおすように、耳鳴りをなおしてくれるかもしれないそんな研究が出てくることも期待させてくれるんじゃないか。
まだまだやることはたくさんありそうです。
それでは ごきげんよう、さようなら(^^)/~~~