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こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

「人は人の下に人をつくる(森美保子)」

 こんにちは

 

今回は、マリア・エリザベートの音楽を書かれた森峰子さんからいただいた森さんのお母様の遺稿集を紹介したいと思います。

 

マリア・エリザベートの音楽―拓かれた耳の贈り物

マリア・エリザベートの音楽―拓かれた耳の贈り物

 

 森峰子さんは、森美保子さんの3人のお子さんのご長女。

峰子さん含め3人のご兄弟は、みな聴覚障害を抱えていらっしるようです。

わたしは峰子さんとだけしか面識がありませんが、とてもお行儀のよいお嬢様という感じの素敵な方です。

森峰子さんとの出会いは、トマティスセンターでした。

 

The Ear And The Voice

The Ear And The Voice

 

 フランスの耳鼻咽喉科医トマティスは、自身の出自(オペラ歌手の子)を最大限に生かして音声学と聴覚医学で一時代を築いた実践医です。論文ではなく書籍での発表や実用新案や特許取得にしてしまい。疾病の医療ではなく声楽家や難聴児や自閉症児を対象とした独自の理論を展開したために、多くの耳鼻咽喉科医はしかとしてきたという過去があります。現在は、彼の遺志をついだ人たちがそのメソッドを継承して世界にセンターがあり、積極的な活動がなされているようです。1/fゆらぎとか骨導リスニングとか速聴とか音楽や語学学習の世界でとかく言われるメソッドのルーツはトマティスにあるようです。

わたしが1/fゆらぎの研究でセンターを訪れていたときにセンターの森田さん・今井さんに紹介されたのがご縁で10年くらいまえと記憶しています。

 

おそらく峰子さんにとって今回は、お母様の遺稿の編纂という大変な作業だったのではないかと思います。私が読んでいても、美保子さんの思いやその考えに強く胸を打たれるのですから、実の娘がその遺稿を編纂するという作業は本当に大変なことだったと思うのです。

 

聴覚障害児と共に歩む―内なる魂の声を求めて

聴覚障害児と共に歩む―内なる魂の声を求めて

 

以下、心に残った文言の一部を引用します。

 

私たち人間は何千年もかけてあるいは何万年もかけてかもしれませんが、人が生きやすいように社会をあるいはいろいろな生き方のしくみや道具をつくりかえてきたわけですが、それはほとんどの場合、多数者のためあるいは、力のある者たちのためであったわけです。少数者はいつも後回しになり、現代のこのめざましい発達した社会においても生きにくい生を余儀なくされているのが障がい者です。というよりは、それぞれの生を生きながら現代の社会のなかで多数者のしくみの中で生きにくい条件を持っている人びとを、多数者の人々はひとくくりに呼んでいるわけです。実際はそのハンディのひとつひとつの違いによって、生きにくさの種類も本質もみんな個性的な人々なのに。

 

なぜ 難聴児 なんちょうじ といって貴方方は集まるのですか。
子どもが難聴であったからといって、あなたたちは親せきにでもなったのですか。まるで難聴という名の血のつながりができたかのようにあなたたちはつながり会い、お互いの傷をなめ合うのです。
中略
何故、(なんちょうじの)会の親たちは共通の難聴児概念を持とうとするのでしょうか。なぜ、どの子にもおなじようなことをやらせるのを当然と考えるのでしょうか。
難聴児はなんちょう時であるまえに、その子自身なのですのに、それ以前に両親、その家庭の子ですのに。
よそのうちの子の教育方法など聞いても 本来なんの参考にもならないでしょうに。それよりも、親が自分を真に大切にし、子どもを真に大切にし、その子の未来を、人生を大切にするなら、みずからその子のよいうより、その家庭の親としてのとるべき態度や言葉が出てくるのが本当ではないでしょうか。

 

親は難聴児に何を教えればよいのか、究極的には人間を教えればよいのである。親が子を欠陥者だと思えば、子は欠陥者になる

 

難聴児教育専門の教師などいない。教師よおごるなかれ。親よ、頼るなかれ。親が専門教師に頼ること自体、子どもをばかにし、子どもののび得るべき能力を自ら抑えることになることに気がつかねばならない。

 

社会人としての私たちは自分自身の生き方を、波のように押し寄せてくる物質文明と情報文明の大河の中で、充分に理解し位置づける余裕もないまま迷っているようにみえます。

この本を読み終えて、 どうやらこの本はすべての子を持つ親にすすめるべき本であることを理解しました。

森峰子さんの仕事にまず拍手を送りたい。

そしてひとりでも多くの人に読んでもらいたい。

そんな想いでこのblogを書かせていただきました。

 

PS

きこえる人もきこえない人もTwitterFacebookの中でおしゃべりできる時代になりました。きこえるひとはネットの中ではあいてがきこえるかきこえないかなんて確認しない。そこでは きこえるひとは きこえないひとを傷つけることをしていません。わたしたちは、環境の中で、「人は人の下に人をつくる(森美保子)」行為、差別や偏見をもっているんだと本書を読んであらためて反省した次第です。

 

おわり。