こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

いよいよ10月開講。

 

難聴、認知症、新オレンジプラン

 

新幹線の作法

 

 

日本の補聴器を担う巨星がひとり去った(;.;)

 

40年前、補聴器市場はシバントス(旧シーメンス)、オチコン、スターキー、ワイデックス、バーナフォン、フォナック、GN(旧リサウンド)といった外国勢(多勢)に対して、孤軍奮闘 日本は、リオンしかなかった。リオン補聴器は、旧陸軍→理化学研究所→小林理研→リオンと国の研究部門から分派した開発型企業で、1985年には世界初のデジタル補聴器を開発するほどであった。バブル期前に株価2000円を超え、飛ぶ鳥を落とす勢い、アメリカへの展開もした。しかし、アメリカ事業で失敗、その後は金融系の社長を迎え、石橋を叩いて壊すような慎重な企業になってしまい、1990年代後半には株価は3ケタまで下げてしまった(この5年、軟骨伝導補聴器の開発・販売や高齢者増に助けられ株価は戻ってきている。)。

1970年代、医師と補聴器販売店の関係はグレーでクライアント不在の補聴器販売がまかり通っていた。医師は装用候補者を紹介すると販売店からインセンティブを得る。そんな不条理がまかり通っていた。医師もみな白い巨塔よろしく大学教授の支配下にある時代で、補聴器販売価格の15%を大学病院にキックバックする仕組みは全国各所で展開されていた。

大学病院15%、関連病院10%、開業医5〜8%という暗黙のキックバック。15%の差分は自分がせわになっている教授にバックされる仕組みを錬金術に長けた一部の教授が行っていた。もちろんそんなあやしい仕組みはイヤとまっとうな補聴器外来をする教室もあったし、補聴器はあやしいとその担当医師なんかには絶対ならないとふらちな教授に従わないまじめな医師もたくさんいた。

よからぬ医師は「あなたは皮膚アレルギーがあるから、補聴器シェルは金コーティングが必要だ」と金コーティングで300万円を超える補聴器を患者にかわせるそんなめちゃくちゃも目撃したことがある(バブル景気時代ゆえに患者の要望も少なからずあっての金無垢補聴器だったようにも思う)。

1970年代後半デジタル補聴器の開発黎明期に、そんな業界の不見識に嫌気がさして理想の補聴器メーカの設立を夢に朝山さんはリオンを飛び出した。そしてキコエ補聴器販売をスタートさせた。その独特なスタイルは当時賛否両論であった(註2)が、今となっては、そこに彼の先見の明があったと言わざるを得ない。まず社員教育に力を入れる会社だった。礼に始まり礼に終わる。われわれがこれまでみたこともないような礼儀正しい販売員のすがたにまずぼくらはたじろいだ。そしてキックバックの廃止とその分以上の低価格路線。今で言うZoffやJINs路線の走りだろう。

補聴器という装置は、まだまだ発展登場の医療器械である。めがねのような最終形にまでたどり着けていない。メガネがファッション性で競争するのに対して、補聴器はいまだテクノロジーベースで勝負がつく。技術的な課題から、いまだ完全とは言えない商品をお客様にお届けするしかない。そこを理解もせずに新型がでるたびに「すごいすごい」と高いものをうりつけるのはいかがなものか。そこに朝山さんの販売スタイルの原点があったように思う。

朝山さんとは都合3回 膝つき合わせて議論をした。新宿西口に本社があった時期に本社ビルで2回、そして1年前に東京駅界隈のラウンジでの都合3回である。お会いするときまってお人払いし、ふたりだけで議論した。話題になるのは、安くてよく聞こえる補聴器のこと。高くてやや聞こえる補聴器と安くてそれよりすこしだけおとるけど充分きこえる補聴器のどちらが良いかと言えば、費用対効果で選ぶべきだというのがかれの口癖だった。

スペック主義に陥っていたテクノロジー信者のボクは、その都度、最速チップと最新アルゴリズムを備えた補聴器を自身で創るべきだと、かれに進言した。この技術なら自らメーカーと称してもだれ(リオン)も文句言わないはずだよと口をすっぱくくりかえし伝えたが、かれは、消耗品(耐久消費財)としての補聴器、水道哲学に沿う補聴器価格という意見を頑固に守っていた。

15年ほど前からレディメイド補聴器に独自のデザインのシェルを用意するようになり、見てくれは間違いなく補聴器オリジナルメーカーの体裁を整え、10年前にはGNに独自の仕様のチップを特注するようになり、この5年、紛れもない補聴器メーカーの本道を歩むようになっている。

1年ほど前、朝山さんから突然電話が入ってきた。体調を崩したらしく、娘婿ふたりでの2輪体制に切りかえるべくこれから組織を変えるのでよろしくという挨拶をいただいた。以前のような殺気こそ感じなかったが、補聴器の製造と販売を通じて、聞こえの困りを抱える人を応援する事業を展開する そんな思いを久しぶりに朝山さんの口から聞くことができ、彼が会長に退き、娘婿が社長の新体制となることにみじんも不安を感じることもなく、そのときもいつものように新タイプの補聴器はどうあるべきかについてかれと議論し、彼の言うまもなく熟すその実がいつ棚に並べられるのかそればかりがきになった。

あのときが朝山さんとまみえる最後の席になってしまった。5月8日付けの平松社長からの朝山会長逝去の知らせ。その文面を読みながら走馬燈のようにあれこれと思い出してしまった。そして1年前に紹介された輝くまなざしをもったお二人がこれから故人の遺志を継いでの新制マチキエをどんなふうに発展させていくのか楽しみになってきた。

 

朝山会長の冥福をお祈りします。     合掌 201805010

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 註1:ビル・オースチン 

www.forbes.com

 註2:製薬メーカーから病院へ派遣されるMR(医薬情報担当者)の制度以前は、プロパーと呼ばれる広告宣伝担当の人達が対応し、接待攻撃で口座を獲得し売り上げをあげるのか普通な時代だった。40年前の補聴器の業界もそうした販売市場主義のなか、クライアント不在の高値取引が行われ、研究費という名目で医師にキャッシュバックしていた時代がある。製薬業界におけるプロパーからMRへの変化あるいはピカシンからジェネリックへの転換、そうしたビジネスモデルの時代変化にいち早く気がつき、適正価格と医師とのかかわり方を見なおした最初の企業がリオンを飛び出して起業した朝山さんの会社だったといえるだろう。

耳ひっぱりとあぶみ骨筋トレーニング

耳ひっぱりとあぶみ骨筋トレーニング

最近はどこかしこでそうしたトレーニングをみてくれた人がいるらしく診療の現場でもどうやればよいかという説明を求められたり、その医学的な意義をたづねられることもおおくなった。

ということで今日は、正しい耳ひっぱりと 効果的なあぶみ骨筋トレーニングの話題ではなしをすすめてみたい。

 

耳ひっぱり

どこをどの向きにひっぱるのがいいのか。

例えば、右手の人差し指と中指と親指をつかっておおきく頭を超えるようにして左側の耳をひっぱり上げるのが動きとしてはベストとなります。

どこをつまむかは、ひとこと、ひっぱってきもちよいところとなります。

呼吸のペースでゆったりと息を吐くときにひっぱるのが基本です。

ひっぱりに疲れたら、両手をそれぞれの耳を覆うようにそっとおいて後から前に向かってのの字を描くようにさすってみましょう。

痛気持ちいい刺激やなでつけるような皮膚刺激によって、脳内麻薬エフェドリンが産生され、副交感神経優位となりストレスから解放されることでしょう。

1日2〜3回くらい 1回は3〜5分もやれば充分です。

あぶみ骨トレーニング

耳せんウォーキングとして書籍で紹介それ以降はいろんなスタイルのあぶみ骨筋トレーニングを紹介させていただいています。

  • 耳せんウォーキング
  • 指耳せんしながらアゴを動かす体操
  • 指耳せんで耳内を押したり離したりする体操

などなどです。

もともとあぶみ骨筋は歩行の響きをキャンセルしたり、嚥下時に響かないようにする働きをするためにはたらいている筋肉です。鼓膜張筋とか、耳管開放筋とか口蓋帆挙筋といった筋肉も関わっていますがいちばんの抑制コントローラーはあぶみ骨筋なのです。

このあぶみ骨筋はご機嫌なときは耳を守り、不機嫌なときは耳を壊してしまいます。

 

つづく

目が見えないことはヒトとモノを切り離し、聴こえないことは人と人を切り離す。

 

目が見えないことはヒトとモノを切り離し、聴こえないことは人と人を切り離す。

 

30年ほど前、岡本道也先生という補聴器の大家がいらっしゃった。ボクは補聴器適合判定医という資格取得のために、所沢での1週間の缶詰合宿に参加してた、その時、講師のひとりとしていらしていたのが岡本先生だった。

1週間で学んだことはたくさんあったはずだがあまり覚えていない。憶えているのは岡本先生がおっしゃった「仏の顔も三度まで」ということばくらいだ。難聴者を取り巻く隣人や家族は、一所懸命に難聴の方をケアしていても、同じことが三回続くと堪忍袋のおが切れる。三回聞き返すと相手はうんざりになる。高齢のじいさんが不機嫌なのは周囲の皆が不機嫌でそこに身を置くだけだから難聴者も不機嫌なのだとおっしゃっていた。

そのときは4人部屋の合宿だった。おかげでボクはふたりの素晴らしい耳鼻科医を友人に持つことができた。ひとりは医師会の理事まで勤められた小森先生。そしてもうひとりは、潜水艦勤務しているのだという放射能晩発障害と思しき不調を訴える若い耳鼻科医だった。彼は潜水艦の任期が終わると、離島で数年過ごし、それで年期が開けて無罪放免自由の身になれると言っていた。毎晩のように所沢の駅前の赤提灯に繰り出しあびるほどのみあかした。蛇足ながら小森先生とはその後に騒音性難聴の担当医講習会でもご一緒した。

 

閑話休題

見ることには二つのストリームがあることはこのブログでもなんどか取り上げている。

見るという行為は、シェイプと色からなんであるかを名称として捉え、重さと距離を類推する作業に集約される。雰囲気とか匂いとかよりもずっとずっと深くヒトとモノの関係を突き詰めるのがこの器官である。

いっぽうの聞くは、聞くと聴くでは大違いな情報処理をしている。

人と人をつなぐのはもちろん聴くのほうだ。聴くは同じようにその言葉からある種の名詞のようなものを導き出そうとする器官ではあるが、その時の参照は純粋に音の記憶との参照手続きとなる。記憶を手掛かりに聞いたことばから聴こえを生み出すのである。参照する情報には、単語の意味も当然必要であるがそれ以上に、音から縁上回や角回というニュアンスやムードを感じ取る部分がおおいに働くことで聴こえが生まれてくる。

参照をベースにするということは、関係性のリフレインを参照していると言って良いだろう。聴覚がコミュニケーションの要とはそうした意味からのことなのだろう。

 

冒頭に紹介したネット記事はもちろん企業のプロパガンダ的広告であるから注意して読み込む必要があるが、この記事では55歳から夫婦の危機が来るという話を書いているから読まないわけにもいかない。軽度難聴でも仏の顔も三度まで。

58歳の財務次官の話題で盛り上がっている今日ではあるけども、つまりは55過ぎた男は聞こえていない。静寂のなかでひとりさみしく過ごしていて、若者ことばを聞き取れず不用意な親父ギャグを連発していたのだろうと。カーソンマッカラーズの心は孤独な狩人に出て来る聾の主人公とたいして変わらない。

55歳とはもうすでに老境に達しているのだと思う。

 

耳と脳 臨床聴覚コミュニケーション学試論

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「耳の不調」が脳までダメにする (講談社+α新書)

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視覚、聴覚、そして体性感覚から学ぶということ。