こちら難聴・耳鳴り外来です!

きこえ、コミュニケーション、そして認知や学習などについて”聴覚評論家 中川雅文" が持論・自説を思うままにつづっています。ときどき脱線しますがご勘弁を(^^;

色彩遠近法と食欲

www.vege-bible.net

 

数日前、NHKのガッテンで周辺視野と中心視野のはなしがあった。中心視野は微細構造の把握という情報処理に配分され、周辺視野は動きに対して敏感であることをカメレオンとか高速道路運転における催眠効果のはなしなど交えて解説していた。高速に移動するなど周辺情報についての処理量が多いと脳が無視するようになり、中心視野だけに注意が配分され、高い情報処理ができるために動きがゆっくりに見えるというような説明(ずいぶんテキトー)がなされていた。最近のガッテンはわかりやすさ優先でどうも性分にあわない。ぼく自身は、高速道路で遅く見えるようになるのはアドレナリンがどんどんでてきて情報処理速度が高まるために相対的にゆっくり見えるんだと思っていた。ゆっくり見えるのは周辺視野の方法処理の飽和が原因かそれともアドレナリンかはおいおい調べてみようと思う。

ヒトの視覚は、両眼視という仕組みのために、両眼でおなじものをみることのできない複眼の生きものとはことなる視覚認知を持っている。両眼で同じモノをみることが当然のようになっているから、左右に異なる映像を提示すると視野闘争という現象が生じてしまい、どちらか片方しか認知することができなくなる。両眼で同じモノをみているときには遠近感がはたらく。相似的な形状のモノは小さいモノが遠く、大きなモノが近いことになる。そうした形状による遠近感のほかにも色彩から遠近感を感じることができる。色彩遠近と言われる知覚だ。青が遠く、赤が近くと知覚される。

 

青い食器が食欲を抑えるというブログをみて、その色彩遠近のはなしを思い出した。

近刊のおしらせ 

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「耳の聞こえがよなる3分トレーニング(PHP)」

6月上旬ごろから生協系の通販で「耳の聞こえがよなる3分トレーニング」という拙著が発売される。

これまで ぼくの書籍や雑誌記事は、生活改善や運動療法のことをうまく伝えることができていなかった。この本はそうした反省点にたってイラスト入りで運動のやり方などを詳しく説明することができている。うまく伝えることができていないとわかったのは、読者の問い合わせのおおいことによるらしい。

生協での通販が先行する。そのうち一般書店でも手に取ることができるようになるのではと期待していた。しかし、PHPの編集者によると生協の会員は2500万人もいるらしくわざわざ店舗在庫を増やしてしまう戦略はとらないだろうと。書店への供給はうまみはないと口にしていた。だから結局は生協系通販での取り扱いだけに終わってしまうのかも知れない(>_<)。

 「耳が喜ぶ補聴器選び2017(ステレオサウンド別冊)」

5月15日には、ステレオサウンド社から「耳が喜ぶ補聴器選び2017(ステレオサウンド別冊)」も上梓される。こちらは、インタビュー記事と本書中での目玉となるハイエンド補聴器の試聴鼎談で登場させてもらったものが掲載される。カラー写真も豊富で、なかなかわかりやすいものに仕上がっている。

 「補聴器ハンドブック第2版(中川雅文監訳)医歯薬出版」

最後は、専門書。5月18日から始まる日本耳鼻咽喉科学会総会(広島)の書籍展示コーナーになんとか間に合うかたちで上梓される「補聴器ハンドブック第2版(ハーベイ・ディロン著、中川雅文監訳)医歯薬出版」のことである。こちらは、10年前に手がけた補聴器の教科書の全面改定にともなっての翻訳で、翻訳分担者を総入れ替えして仕上げたものだ。お値段も16000円と高いが、これに変わる補聴器のテキストはどこにもない。英語で原著を読むに当たってもそこに翻訳書がある方が理解も進む。ぜひとも日英両方の本を手に入れてしかと勉強して欲しい。

 

4月に入り、職場の体制が変わったり、人が増えたり、自分の職位が変わったりと忙しい。昨夜も職場の歓迎会でしこたまビールをあおってしまった。

3年越しあるいは1年越しでの仕事が形になったあとだけに、きのうは安堵で飲み過ぎてしまった。

 

それではまたさようなら。

平等が生み出した差別

フランスにおける平等の思想の中に「公立学校に宗教を持ち込まない」という考え方がある。
それゆえにクリスチャンであっても十字架のイヤリングやペンダントは身につけないあるいは見えないところに密かに装うことを求めている。
 
イスラムの悲劇は、ヒジャブによって生まれた。
女性が黒髪を隠すようにスカーフでおおう装いのことである。
フランスは平等であり、自由である。
そのためにはある空間においては、自己のアイデンティティは封じ込まなければならない。
 
ヒジャブを拒絶されたとき、彼らは深い悲しみの淵に追い込まれた。
偶像崇拝を否定するイスラムの人たちの
そのヒジャブという装いがイスラムのアイコンとなったアイロニー
 
自由と平等と博愛。
 
言霊だけを受け止めればそれはそれはすばらしい理念である。
 
しかし、その実践には、個々人が痛みを伴うなにがしかの選択(取捨)を求められる。
 
かくして、イスラムの蛮行とそれにこうする活動としての「私はシャルリ」が生まれた。
 
自由も平等も権利もヒトの社会が作り上げたフィクションでしかないように思う。
 
自然界のなかの、野生のありように、ヒトの動物としての本能がある。
人であるために、ヒトは「道理」を描く。
自己のアイデンティティとしての論理を侵害されたとき、
反射的に反応してしまうのはしかし道理とはほど遠い「感情」である。
 
ヒトが人であるためには「道理」でとおさなければならない。 
 
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平等と自由は差別を生み出す。
「自由とはかってきままのことではない。自由とは道理のことである。(内田百閒)」
「日本という国は、このことばの訳を間違えてしまった。(内田百閒)」
 
自由は、結果の平等を補償しない。
自由には自由なりの求められる所作や流儀もある。
 
自由と平等はある種の原理主義のひとつではなかったかとひとり唖然としてしまう。
 

#耳の日 #WorldHearingDay

DSD 11.2の迫力はハンパない(~_~;)

昨日は、仕事で、オーディオ評論家の藤原さんらと鼎談。

最高級オーディオシステムで、クラシック、ジャズ、歌謡曲を聴く機会がありました。

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ハイレゾとスーパーCDとノーマルCDを聞き比べました。

ケーブルの値段まで入れるともはやレクサスの最上級モデルを余裕で超えるそのお値段にまず驚愕しました。

実際に音を聞いて、聞こえると聴こえるとは違うんだと。

自分の普段の音の貧しい生活を良しとしていることをおおいに反省させられました。

スピーカーのコーンの直径は17センチメートル以上ないとことばは綺麗に聞こえない、音源に情報が足りないと聴こえないということをはっきり実感できる企画でした。

さて、

実はこの鼎談ちょっと変わった企画で、いろんな仕掛け満載だったのです。いろいろ話したいのですが、今回はさわりだけ。というのもそのくわしい内容は5月に刊行されるステレオサウンド社のムックに掲載されますので。

お楽しみに(^o^)

 

 

 

#補聴器か人工内耳か手話か  それが問題だ。

手話と人工内耳 過去をふり返って・・。